1)週末、銀座SIXの観世能楽堂で武田文志の船弁慶を鑑賞させてもらった。武田文志の演じる静御前(前シテ)と平知盛の幽霊(後シテ)はさすがに圧巻で、思わず涙を誘われたほど。しかしさらに興味深かったのは、その能の前に、仕舞をじつに7編も配して、途中で野村萬斎の狂言の愛嬌を挟んだものの、仕舞は7編ともすべて神霊と幽霊が主人公として登場するものであった。日本の文化伝統そして日本人のこころの渡邊さお里によると、武田文志は白血病に侵されて死線をさまよい、九死に一生を得てから一段と幽玄さを増したという。能の魅力は現世と霊界とが交流する幽玄さが現われ出るところにあると思うが、今回はまさにそこに焦点が絞られたようで、霊界から唸り響いてくるような地謡の言霊に、観世清和らの演じる幽霊もまたいま霊界から現れ出てきたようなそのままの幽玄さを感じさせた。

 

2)いま、多くの日本人が日本の国を好きになれないでいる。日本という国をあきらめている人も多い。かつて日本人は日本国家のために、また日本国家の体現者である天皇のために生命をかけて忠誠を尽くすことができた。いや、できたというのはまちがいなく一面の真理であるが、そのじつはあらゆる矛盾に蓋をして他の真理を押し潰して一面の真理を絶対化してきたのだ。前回、日本人の深層意識は一致していなかったと述べたが、それは日本の霊界の統一性が破壊されているということである。多くの識者はその原因をユダヤ・GHQによる占領政策が現在に至るまで80年ちかくも続いて日本の神道・国家・共同体・家族まで破壊しつくしてしまったからだと言う。それも一面の事実だ。しかし戦前の明治日本帝国もまた伊藤博文や岩倉具視がグラバーらを尖兵とするユダヤ勢力に利用されながら急造りした傀儡国家である。日本人は日露戦争を経て1930年代までに徐々に民族意識に目覚めるものの、明治以来の近代日本はすでに日本の霊界の統一性が破壊されたままスタートしたと考えるべきである。

 

3)かつて日本人は魂の表出する忠誠心に心躍り躍動した。江戸時代においても夏目吉信ら徳川家草創期の忠義の武将たちや楠正成、真田幸村、忠臣蔵など、一命を賭して忠義を貫いた物語が数えきれないほど多く語られ、講談や実録本となって全国に流布した。日本人はお金を出して講談などを聞きに行き、忠義の士のために泣いたのである。それら忠誠心の対象は、徳川家、後醍醐天皇、豊臣家、浅野家など自らの主君であり、日本人は自らの主君のために一命をささげた。明治維新において、伊藤や岩倉はこれら日本人の高い教養と強力な忠誠心の対象を天皇一本にまとめ上げ、日本人の忠誠心は一人の主君・一つの国家に向けられて日本は世界最強の国家になったと思う。明治天皇のもとで日清戦争、日露戦争に勝利したのも当然だし、19世紀以降世界を支配しているユダヤ勢力が日本を恐れたのも無理はない。

 

4)それで第二次世界大戦で日本はユダヤ勢力(ロスチャイルド家、ロックフェラー3世、F・ルーズベルト、W・チャーチル、山本五十六ら)の陰謀によって戦争に引きずり込まれ、敗戦した。伊藤や岩倉が創った天皇は80年に満たずに人間宣言を行い、楠正成が生命をかけて忠誠を尽くした後醍醐天皇など歴代天皇も、その実体はわがままで腐敗し悪行を繰り返してきたことも次々に明るみに出た。さらにDNAの核ゲノム解析がここまで進むと、天皇家・大和朝廷の歴史は紀元2~3世紀に大陸を追われた中国東部の武将の残党であることが証明されるのも時間の問題ではないかと思える。古墳人(天皇家・大和朝廷)の日本侵攻はちょうど中国の三国時代の曹操(紀元155 - 220年)が生きていたころに符合するので、曹操に滅ぼされた袁紹(202年死去)の残党か、その袁紹によって滅ぼされた公孫瓚(199年死去)の残党が朝鮮半島に逃れ、さらに神様の子孫と称して日本に侵攻した可能性もある。公孫瓚は幽州(朝鮮半島に隣接する満州南部から北京周辺)を領有していたし、袁紹は冀州からその幽州を領有して同じく朝鮮半島に隣接していた。日本に侵攻してきた大和朝廷(古墳人)が軍事力を背景にして「おれのばあさんは神様だったんだからお前たちはこの国を譲れ」と作り話をして日本を占領したのも、孫子の兵法に通じた袁紹や公孫瓚など権力争いを続けてきた中国の武将の残党らしい戦略である。同時代に諸葛孔明が南方の雲南・ビルマ族を征服したときなどにもよく作り話を用いて丸く収めた例がいくつもある。いずれにしろ、天皇の権威が失墜したいま、日本人の忠誠心は行き場を失って日本人はバラバラであるし、もう戦前の天皇の体制には戻れないと考える。

(古墳人の日本侵略は2~3世紀)

 

5)能は室町時代に世阿弥によって創られたと言われるが、当然ながら、室町時代に突然生じたなんてことはありえない。能の幽玄性ははるか古代から続く縄文日本人による現世と霊界との交流、神人和楽の精神の表出、神事であったと思う。世阿弥はその神人和楽の霊界の表現を能という演舞の形式にまとめ上げたと理解するのが自然である。世阿弥が生きた室町時代初期は南北朝の戦乱の時代であり、戦わなければ滅びる時代にあって(本当は現代も同じだが)、当時の日本人は古来交わってきた霊の世界との交流と調和を渇望したに違いない。茶の湯のわびさびも同じような心境であると思える。現代、バラバラになった日本人が本来の使命をもって一つにまとまるべき新たな国体は、神社庁が述べるような1300年前に天皇家が自分たちの保身のために作った記紀神話のみによるのではなく、あるいは記紀神話をも包含しながら、地球の創生とともに何十億年も永遠に日本列島に住まう真の日本の神と、2万年以上前から日本列島に住まう縄文日本人とによる、日本の現世と霊界との交流、神人和楽の精神を土台として、日本の霊界を統一するところから構築されることになる。

 

 

(観世能楽堂の玄関でフミヤス、武田文志夫人、渡邊さお里)