倉本一宏の『戦争の日本古代史』(講談社現代新書2428、2017年)は、「白村江の戦い」を「史上最大の敗戦」と考える通説の代表的な著書です。

 

 

倉本一宏は、国際日本文化研究センター名誉教授で、倭国を執拗に過小評価する学者です。

 

この国際日本文化研究センターは、宮地正人の創設によるもので、宮地正人は左派系歴史学者として有名です。

 

同センターの初代所長が梅原猛ですから、推して知るべしですね。

梅原猛の『隠された十字架』は、聖徳太子の怨念を封じ込めるとした怨霊説であり、その根本が事実誤認の上に立っており、まったく日本文化を貶める愚論というか、トンデモ論を振りまく無責任な小説です。

 

こうした事前情報がなくても、『戦争の日本古代史』は、最初の見開きの「百済」(9頁)に「ひゃくさい」とフリガナを振っているところからして、風変わりな著書とわかります。

 

もう少しはっきり言えば、本書は日本を嫌いな人が書いた日本古代史です。

ですから、私は本書を読むのをお勧めしません。悪書と言ってもよいかもしれません。

 

 

 

本書の具体的内容に言及します。

倉本は、『日本書紀』の記述を全体的に信用せず、『日本書紀』を文献として認めません。

 

たとえば、『日本書紀』の文献としての価値について、「『古事記』や『日本書紀』が後世に政治的意図によって作られた歴史書である以上、三・四世紀の倭王権の様子を直接的に示す文献資料は存在しないが、・・・」(p.17)というように、『日本書紀』の記事を認めようとしません。

 

自国の正史である歴史書『日本書紀』について、これほど認めない日本人の学者はいないのではないでしょうか。自国の歴史書を認めないという学者は、世界的にも異例でしょうね。

 

また、倭国が朝鮮半島諸国に優位に立ったことがあるのは、歴史事実です。ところが、これを本書は認めようとはしません。

たとえば、倭国や朝鮮半島の諸国以外の第三者である宋が、その正史である『宋書』に「使持節 都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事 安東大将軍 倭国王」と倭王武の称号を記しているとおり、倭の五王が朝鮮半島の新羅や百済を傘下にしていたことは歴史事実です。しかし本書は、倭国が朝鮮半島諸国に優位に立ったことを認めないという、とても偏見に満ちたスタンスであり、まるで倭国に恨みでもあるかのような書きぶりです。

 

また、朝鮮半島や中国大陸に対する倭国の影響を過小評価します。

たとえば、好太王の子である長寿王が、好太王の偉大さを称えるために建てた碑文に、「百殘新羅舊是屬民 由來朝貢 而倭以辛卯年來 渡海破百殘加羅新羅 以為臣民」(百済や新羅は古くは高句麗の属民であり由来朝貢していた。しかるに倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残や加羅、新羅を破り、臣民とした)という記録があります。倉本はこれを認めず、小見出し「高句麗好太王碑」において、好太王碑は「問題の碑文の三九一年の倭国の「渡海」と「臣民」であるが、この「渡海」を朝鮮半島の軍事侵攻と解釈せず、百済の要請を承けた派兵と捉え、これを交戦国の高句麗側から過大に表現したものと考えれば」(p.33)というように、倭国を過大に評価して記述されているとします。

「百済の要請を承けた派兵」なんてどこにも記されていないことまで想像して書いており、ここまでくると偏屈じじいですね。

 

さらに、「任那の調」などについては『倭国にとっては、「新羅の調」「任那の調」が貢上されさえすれば、「任那復興」などは非現実的な願望に過ぎなかったのである。』とし、「聖徳太子」に関しては、『倭国の自己中心的な介入によって北東アジア世界全体を混乱と抗争に巻き込んだことは、痛恨きまわりない結果であった。「平和の望んだ聖徳太子」などという理解が、いかに史実とかけ離れたものであるかは、これだけをもって見ても明らかであろう。』(96頁)と記されます。

本書は、日本の描く歴史を否定し、勝手な妄想にもとづく記述ばかりを連ねます。

 

 

さて、本書では第三章に本題である白村江の戦いについて「白村江の戦 対唐。新羅戦争 七世紀」の表題を掲げて記述しています。

 

ここには、前々回に紹介した森公章の著書にあった白村江の図が採用(118頁)されています。倉本は、倭の外交面での稚拙さが白村江の敗因とみた森公章の自虐史観の考えと同じなんでしょう。

 

森公章の『「白村江」以後』から記述を抜粋して、小見出し「敗因をめぐって」の最初に載せています。

白村江の戦の敗因として、小出しに兵を送るという戦略の欠陥、豪族軍と国造軍の寄せ集めに過ぎないという軍事編成の未熟さ、いたずらに突撃をくりかえすという作戦の愚かさ、そして百済復興軍の内部分裂などが指摘されている。それはたしかに、五世紀から六世にかけて、同様の戦略でそれなりの成功を収めてきたという過去の経験に依存し、中国王朝の直接介入という今回の状況をじゅうぶんに考慮していないことからくる認識不足の結果であった。」(151頁)

「小出しに兵を送る」とか「豪族軍と国造軍の寄せ集めに過ぎない」「いたずらに突撃を繰り返す」という勝手な推測、さらには「中国王朝の直接介入という今回の状況をじゅうぶんに考慮していない」という妄想など、つっこみどころ満載のこの記事を平然として載せているところに驚きます。「小出し」「豪族軍」とか「国造軍」「寄せ集め」「考慮していない」なんてどこの史書に書いてありますか?

 

小見出し「白村江の戦の目的」においては、さまざまな可能性を153頁から158頁まで多くの文字で示しながら、倉本の究極の結論が、「なおかつ、負けてもかまわない、戦争を起こすこと自体が目的だった、という側面を強調したい。しかもそれは、対外的な目的と言うよりも、国内的な要因によって起こしたということを指摘しておきたい。」と記します。つまり、白村江への出兵は、日本が中央集権国家を築くために敗戦を覚悟の上でおこなったという笑止千万な倉本の創作です。

 

史料から得られる情報を基に主張されないとまったく嫌悪感しか生まれません。倉本の単なる想像や希望的推測・思い込みは、古代史を愛好する者を愚弄するもので、こんなに反自国的な日本人の学者がいるのかと、とても悲しい気持ちになります。

思い込みによってゆがめられている部分があまりに多すぎて学者としては失格です。

 

倉本一宏の『戦争の日本古代史』があまりにも酷いので批評ばかりになってしまいました。最後はやや楽しく締めくくろうと思います。

 

1958年生まれの倉本は、1973年の麻丘めぐみのシングル『私の彼は左きき』や1978年の石川ひとみのデビュー曲『右向け右』を聴いたことがないかもしれません。左ききに贈りましょう。皆様も楽しんでくださいね。

 

麻丘めぐみ『私の彼は左きき』Bing 動画

いつでもいつでも彼は左利き

あなたに合わせてみたいけど 

私は右利き すれちがい

 

石川ひとみ『右向け右』Bing 動画

右向け右 Ah 心が痛い

左に行く彼 追っちゃいけない

そんなに信じられなきゃ

さっさと消えればいいでしょう。