日本の女装に関する最も古い記述は、ヤマトタケルの熊襲(くまそ)討伐に出てきます。

 

熊襲討伐は、奈良時代に編纂された『古事記』や『日本書紀』に記されています。

ヤマトタケルは、第十二代景行天皇の第二皇子として生まれ、名は小碓尊(おうすのみこと)といいます。『古事記』によれば、景行天皇から九州の熊襲討伐を命じられた小碓尊は、髪をおろし女性の衣服を身にまとい熊襲建(クマソタケル)の兄弟の酒宴に潜入しました。そして、気を許した隙をついて剣をつきたてて兄弟を殺します。このとき小碓尊は、まだ少年であったので熊襲は気を許してしまったのでしょう。

 

これを機に熊襲から「」の文字をとり小碓尊は、ヤマトタケルと名乗ります。『古事記』では主に「倭命」と記されます。『日本書紀』では主に「日本武尊」と表記されます。いずれにしても作られたような名ですね。

 

男性のヤマトタケルが女装するのとは逆に、女性が男性の格好をした事例もあります。神功皇后はヤマトタケルの第二子で、第十四代仲哀天皇の后であり、亡くなった仲哀のかわりに、甲冑をつけて新羅・百済・高句麗の三韓平定のため朝鮮半島に渡り、見事に目的を成し遂げます。

 

 

ただ、ヤマトタケルと神功皇后の件を同一に取り扱うと変な話になります。

ヤマトタケルは相手を騙すために女装したわけですが、神功皇后は仲哀天皇の代わりとして味方を鼓舞するために男装して戦場に出向きます。つまり、神功皇后の場合は、まわりの者は皆女性だと知っていたわけです。これに対してヤマトタケルの場合は、男性であると悟られないように女装したということになります。

 

熊襲は、女装した若い男性を酒の席に呼ぶ風習があったのかもしれません。

ヤマトタケルはそうした熊襲の機会をうまく利用したということではないでしょうか。

 

ただ、常識的に考えれば、熊襲の本拠地ですから、熊襲建を暗殺したヤマトタケルはすぐに取り押さえられて切り捨てられてしまうでしょうね。もし、記紀の熊襲建暗殺の記述が作り話であったとしても、女装の男性を受け入れる背景が古代日本にあったと思われます。


『古事記』が伝えるような、ヤマトタケルが二人の兄弟を宴会の席で同時に殺すのには無理がありますので、『日本書紀』の川上梟師(かわかみたける)一人を成敗したとするほうが現実感があります。「梟」は「ふくろう」で強い意味です。相手が手強いならば、その熊襲を成敗したヤマトタケルの株が上がるということでしょう。また古代から大和が九州まで支配下に置いたと示したいから、この説話があると思われます。

 

第三者的に倭国をみた中国史書によれば、九州には大和とは全く別の独立した王朝があったと記されています。『旧唐書』に倭國は「依山島而居」「四面小島五十餘國」とあり、一方で日本國は「倭国之別種也」「西界南界咸至大海、東界北界有大山為限」とはっきり倭國と日本國は別の国と書かれています。

 

実年代で言うところの景行天皇の時代は、3~4世紀頃とされます。その時代には、卑弥呼や壹與が九州の30カ国を束ねていた時代ですから、大和が日本列島を統一していたとはとても思えません。

ヤマトタケルは、九州の倭国を始め各地にあった王朝の武勇伝を、大和の歴史に組み込んだものではないかと考えています。

 

なお、『古事記』によればヤマトタケルは叔母の倭姫から貰った衣服を身にまとい女装したことになっています。

倭姫は、第十一代垂仁天皇の第四皇女で、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされます。つまり、「倭姫から貰った衣服」の話は、熊襲成敗を大和と関連付けるための話でしょう。

倭姫も倭建と同様に創作された名称のように思われます。

 

 

ところで、ヤマトタケルの話で示したように、日本では古代から男性の女装などの文化がありました。しかし女装文化と性の嗜好であるLGBTとは全く違います。

 

LGBTに関連した欧米の概念SDGsのお題目は、その字句・言葉は、綺麗だし理想的です。しかし、世界の状況をみれば、2030年の目標年に達成できるはずもありません。

植民地化で覇権をしてきた獰猛で腹黒い欧米の国々の懺悔のポーズです。

 

2020年時点で自由民主主義と区分される国家はわずか32カ国で残りの147カ国は事実上の独裁国家です。独裁の国に住むのは、世界人口の71%の人々です。

SDGsは自国を有利にするために利用するもので、これに踊らされてはいけないと思います。

 

 
これでも50年前よりは、マシになっています。

 

 

目標4「質の高い教育をみんなに」を真に受けて、日本がLGBT教育に邁進するならば日本の社会が混乱してしまうかもしれません。男の子は男性、女の子は女性です。それをあなたは女の子の姿をしているけれども男の子かもしれませんと性の定義を曖昧にすると、米国のように倒錯した犯罪が増えるように断言して間違いないでしょう。私は自分の子孫が困る社会にならないように最低限の歯止めをかけたいと願っています。