Wikipediaの内容は、ときどき可笑しな記述があるように思います。

以前は比較的適切な記述内容だと思っていたのですが、根拠が曖昧なままに記されているところや、言葉の定義も恣意的なところが間々あると知ってから、あくまで参考程度にすべきと思い直しています。

 

歴史関係については、wikipediaを論考の根拠にはできません。

というのも、白村江の戦いについては、次のように記されています。

この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。・出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2023年6月)

などと注意がなされています。

 

出典がしっかり示されていても、それが1次資料ではなく、引用した2次資料である場合も見受けられますので、出典が示されているからといって即座に正しい記述だと信用しない方がよろしいです。その出典の元史料を確認する必要があります。

 

Wikipediaはマシなほうですが、これが小説となるとほぼ出典は示されませんので、当時の史書の記事をある程度知っていないと、事実なのか架空のことなのか見当も付かないことになります。

 

 

さて、私はいま白村江の戦いや、その戦後の状況に関心があり、すこし専門書や研究書などから離れて久しぶりに小説を読もうかと手に取ったのが、荒山徹の『白村江』(PHP文芸文庫、2020年)です。

 

 

小説は出来がいいと、その記述が本当だと錯覚し変な記憶が残ってしまうので、あまり読まないのですが、小説は、研究調査書や考察本と違って、とてもとっつきやすく読みやすいところがいいです。小説といっても、ある程度は史料に基づいており、歴史的背景を確認するために、たまには読んでみるのもいいものです。

 

荒山徹の『白村江』は、百済から倭国に人質となった義慈王の皇子である扶余豊璋が、百済を復興するために百済へ戻り百済王として戦う物語であり、あらすじは歴史事実に沿っています。ただ装飾部分は、荒山の想像で書かれています。

最終的に豊璋を渤海の建国者にしたところは、何の根拠もないので全くリアリティがありません。

 

もう一方の主役が、のちの天智天皇となる葛城皇子です。葛城皇子は、朝鮮半島から撤退して内政に傾注するため、白村江の戦いを仕組んだとします。重荷であった倭国の出先機関であった任那日本府を手放すために、百済を助けるふりをしながら、実は新羅と手を組んで、故意に負け大津に遷都して中央集権化を図ったとして描かれています。

 

白村江の戦いは、葛城皇子が国家再興を目指す豊璋を手玉に取った策略であったというストーリーで描かれており、倭国が参戦した理由を百済の要人や技術者の確保としたところは、突拍子も無いですが、話としては面白いです。

 

白村江の戦いの後、歴史事実として、新羅は領土を拡大し半島を統一できましたし、天智天皇は律令政治を進めることができたということで、そことの辻褄はあっています。

 

それにしても、不快な冒頭の描写などは、全く不要です。

総じて参考になるところはありませんでしたが、歴史事実にこだわらない人にとっては楽しく読めるでしょう。