安倍元総理は、生前も、亡くなられた後も、左翼であるアベガーによる批判が絶えませんでしたが、最近でこそ、そうしたアベガーの騒ぎもやっと下火になりました。戦後レジームから脱出し、日本を良き方向へ導こうとしていた貴重な人材を亡くなられたあとも貶めるのは、いくら国家観などの考えが違うからと言ってもあまりにも酷いです。

 

日本では死者を冒涜する文化はありませんので、これをやるのは、異国の輩か、日本文化とは異なる感覚の組織やメディアということになりますね。

 

私が気になるのは、その影に隠れて左翼のみならず保守においても、安倍元総理の祖父である岸元首相を売国奴と批判することが定着していることです。私に言わせれば、いわばキシガーですが、実は最近まで私もメディアに感化されていた、その一人だったのです。

というのも、wikipediaの「岸信介」の説明には、岸元首相が「CIAのエージェント」と書いてあり、またいろいろな文献でも同様であり、これを鵜呑みにしていたからです。

 

wikipediaの「岸信介」

A級戦犯被疑者として収監されるが、不起訴となったのち米国CIA(中央情報局)のエージェントとして活動し[2][3]、戦後にも権力を得た。

 

その岸元首相をCIAのエージェント、つまりスパイとして活動したとする根拠は何処にあるのでしょうか。

それはこのwikipediaの注釈[2]、[3]に示されているとおりです。

 

[2]  Johnson, Chalmers; Schlei, Nobert; Schaller, Michael (2000). “The CIA And Japanese Politics”. Asian Perspective (Johns Hopkins University Press ) 24 (4): 79–103. doi:10.1353/apr.2000.0005. JSTOR 42705308.

[3]  a b “CIA Records - Name Files”. National Archives. 2022年8月19日閲覧。

 

キシガーが岸元首相を売国奴として批判する、その原点は、Chalmers Johnson, Norbert A. Schlei and Michael Schallerの論文『THE CIA  AND JAPANESE POLITICS』(『CIAと日本の政治』、2000年)とともに、「CIA Records - Name Files」(2007年解除)です。

 

前者の『CIAと日本の政治』の著者である、チャルマーズ・ジョンソンChalmers Johnsonは、現在でこそ親日派として知られますが、もともと新左翼的な歴史認識を持ち、日本は欧米などと価値観が異なるという、リヴィジョニズム(日本異質論)の主唱者とみなされていた人物です。リヴィジョニズムは、親日的な日本解釈に異議を唱え、日本の経済的台頭に警戒感をもって日本叩きをしようとする考えです。

簡単にいえばチャルマーズ・ジョンソンは、日本に批判的なアッチ系の国際政治学者です。

 

共著のノーバート・A・シュライNorbert A. Schlei、1962年から1966年まで司法次官補および司法省の法務顧問室長を務め、不法移民を合法化する「移民改革および管理法」(1986年)を成立させた人物です。この法律でより多くの違法移民が増えてしまい失策の一つとされています。

 

そして、マイケル・シャラーMichael Schallerは、米国外交史を専門とする歴史学者です。

戦後の日本の再建は、日本の未来だけでなく、アジア全体における米国の政策を形作り、ベトナムや支那、韓国への介入につながったと主張する考えの人物で、アリゾナ大学教授です。

 

これらを念頭において読まないと、一方的な主張に翻弄されてしまいますので注意が必要です。

 

この論文は誰でもネットから読むことが出来ます。

Working-Paper-11.pdf (jpri.org)

 

この論文は、3部構成になっていて、第1部の一部を抜き出すと、M資金が岸元首相に渡ったことが記されていますが。

ll three funds were combined into one M-Fund when the occupation ended, and the fund was jointly operated by Americans and Japanese until the late 1950s, when it was turned over to the Japanese by then Vice President Nixon to then Prime Minister Kishi. Schlei’s memorandum outlines some of the fund’s post-occupation uses and its alleged later history. The amounts involved were very large and were used for industrial projects in 
rebuilding Japan’s economy and later for clandestine activities elsewhere in Asia.
The chief evidence supporting the existence of the M-Fund or something like it, other than circumstances and anecdotes, comes from the life and statements of Kodama Yoshio.

占領が終了したとき、3つの資金は1つのM資金に統合され、その裏金は1950年代後半まではアメリカ人と日本人によって共同運営されていたが、その後、 当時のニクソン副大統領から当時の岸首相へと日本人に渡った。 シュライの備忘録には、占領後のM資金の用途とその疑惑の後の歴史について概要が記載されている。関係する金額は非常に多額であり、日本の経済を再建する産業プロジェクトと、その後アジアの他の場所での秘密活動のために使用された。M資金またはそれに類するものの存在を裏付ける状況や逸話などの主な証拠は、児玉誉士夫の生涯や発言に由来する。

 

結局、このM資金の存在は、「フィクサー」と呼ばれた右翼団体の大物、児玉誉士夫の生涯や発言を根拠とするもので、それらの信頼性がどうかという問題になります。M資金は控えめに言えば実在することを証明することができないもので、ハッキリ言えばM資金はあったかどうかも分からないものです。

 

ですから、ストレートにこの論文を批判すれば、この論文が発表されたのは、CIAの秘密文書が公開される7年前ですから、ほとんど根拠がないのに、肩書きの有る3人のアッチ系の人々が噂話の類いを妄想しながら、思い込みで書いたもので論文に値しません。

また、「シュライの防備録」については確認出来ませんでしたが、いずれにしても著者のメモに過ぎませんから根拠にはなり得ないでしょう。

 

古代史の研究を行う上で重要なことは、その文献史料がいつ・どこで・だれが書いたものなのかが重要であり、それによって史料の信頼性が変わります。そこで信用が高いかどうか史料批判の作業を行います。近代史でも同様の根拠が求められ、この論文の場合もいつ・どこで・だれがの要素が問題となり、特に根拠となる人物の信用度に左右されますが、児玉誉士夫は、CIAのエージェントと自称しているものの、『CIAと日本の政治』では、その言葉を信用する際の史料批判がされていません。

 

本当にCIAのエージェントであったなら、正体を隠さなければならない身であり、エージェントだと自称するエージェントなどはばかげています。

 

第2部では、次の記述があります。

The secrecy surrounding the M-Fund and the absence of governmental or institutional controls over it have led to abuses so great as to dwarf any governmental scandal within memory in any part of the world. The litany of abuses begins with Kishi, who, after obtaining control of the Fund from Nixon, helped himself to a fortune of 1 trillion yen (then nearly $3 billion). Kakuei Tanaka, who dominated the Fund for longer than any other individual, took from it personally some 10 trillion yen which he invested through the Union Bank of Switzerland.

M資金をめぐる秘密主義、そしてそれを管理する政府又は機関の不在は、世界でいろいろな記憶にとどめるものがある中で、どんな政府のスキャンダルをも矮小化するほどの大規模な悪用につながった。一連の悪用は岸から始まり、ニクソンからM資金の管理権を獲得し、1兆円(当時は約30億ドル)の財産を自由に使った。田中角栄は、個人的に数十兆円を受け取り、スイスのユニオン銀行にそれを投資し誰よりも長くM資金を支配した。

 

この記述をもってキシガーは岸元首相を批判するのですね。

しかし、これは根拠の怪しい児玉の話に基づいて妄想した記述です。

 

第3部は、岸信介元首相とCIAとの関わりに専念して書かれています。半分以上が第3部に費やされていますので、この論文はほぼ岸元首相を貶めるために書かれたと言っても過言ではないでしょう。それは日本を貶めるのに繋がります。

 

In the aftermath of Kishi’s visit, it appears that Eisenhower was persuaded to approve a plan for the CIA to begin influencing Japanese politics. With the aim of both strengthening Kishi’s grip on the LDP and stemming Socialist gains in the upcoming Diet election, the CIA utilized nominally “private” Americans to deliver money to Kishi’s circle within the LDP. This allowed both donor and recipient to deny any official foreign involvement. 
Additional money reportedly went to so-called moderate elements within the JSP, with the aim of securing political intelligence, boosting their numbers, and encouraging ideological 
warfare within the party. While the exact amount of secret funding remains uncertain, sums as high as $10 million may have been spent annually between 1958 and 1960.
The investment paid off handsomely. In the May 1958 election to the Diet’s lower house, the LDP retained nearly all its seats while the frustrated Socialists fell to bickering, 
culminating in a party split at the end of 1959.

岸氏の訪問の余波で、アイゼンハワーは、CIAが日本の政治に影響を与え始める計画を承認するよう説得されたようだ。岸が自民党を掌握し、次期国会選挙で社会党の躍進を阻止する両方の強化を目指して、CIAは名目上の「民間」のアメリカ人を利用して、自民党の岸の派閥に資金を提供した。これにより、寄付者と受領者の双方が外国の公的関与を否定することが可能となった。 伝えられるところによると、追加の資金は、日本社会党(JSP)内のいわゆる穏健派に寄付された。 政治的情報を確保し、その数を増やし、イデオロギーを奨励し、党内でのイデオロギー争いを奨励することが目的である。秘密資金の正確な金額は依然として不明だが、1958年から1960年にかけて、年間1,000万ドルもの金額が費やされた可能性がある。 投資は見事に報われた。 1958年5月の衆議院選挙では、自民党はほぼ全議席を維持し、不満を抱いた社会主義者は論争に陥いり、1959年末の党分裂で最高潮に達した。

 

「説得されたようだ」「秘密資金の正確な金額は依然として不明」「費やされた可能性がある」などと、確定的な物言いはありません。

保守の岸元首相がCIAと裏で繋がっていて、CIAの思惑どおりに政治資金や活動費として大金を受け取って、保守の勢いを確保するとともに社会主義者を分裂させるように動いていたに違いないという目線が、この本にあるのを知っておかなければならないでしょう。

 

しかし、岸元首相は、1954年に当時の吉田首相の「軽武装、対米協調」路線に反発して自由党を除名されており、岸元首相は米国と協調するのではなく、真の日本独立を実現しようとする考えですから、CIAのエージェントの立場とは対極的な立場です。

 

要するに、『CIAと日本の政治』は、米国のアッチ系の学者たちが岸元首相を貶め、さらに日本を侮辱するために書いたデッチアゲの妄想とほぼ断定できます。こんな論文を根拠にするwikipediaの説明は信用するに足るものではありません。

 

 

また、後者の「CIA Records - Name Files」は、米国国立公文書館(NARA)に保存されたCIA収集のファイルで、日本の戦争犯罪記録研究のために集めた10万頁以上の機密文書であり、それを2007年1月12日に解除したものです。

 

ここには、CIAのエージェントの氏名が羅列されているとされていますが、実はCIAのエージェントの一覧ではありませんでした。

 

CIA Records - Name Files

米国立公文書館(NARA)のHP(CIA記録ー名前ファイル第2版)
https://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release/name-files.html

 

このCIA収集の個人ファイルの最初に、次のような説明が為されています。

ナチスまたは日本の戦争犯罪者、犯罪、迫害、略奪された資産に関連するアイテムだけでなく、ファイル全体を一緒にリリースした。これらの記録は、戦争犯罪者である人物、戦争犯罪者ではない元枢軸国職員、戦争犯罪または迫害の犠牲者、またはナチスの活動を調査する民間人または軍人に関連している可能性がある。記録には、これらの活動とは関係のない人物に関する言及または情報も含まれる場合がある。

 

要するに、これは、CIAのエージェントの氏名の一覧ではなく、戦争犯罪者のほか、軍人、それ以外に関係のない人物も含まれています。それを冒頭で注意しているのです。

 

もっとも、「戦争犯罪者」と言っても戦勝国側の基準による「戦争犯罪者」であり、日本側からすれば、決して戦争犯罪者ではありません。日本のために闘い尽力した人々です。

 

いずれにしても、ここには当時の敗戦国である日本の主要な人物が一覧となっており、その中に昭和天皇などとともに岸信介や児玉誉士夫の名もあると言うことなのです。

しかも昭和天皇はもちろんのこと、岸信介にも児玉誉士夫にも、スパイの暗号名が記されておらず、それは、むしろ岸や児玉がCIAのエージェントではなかったと物語っているようです。

 

古代史の研究と同じく、何ごとも根拠をしっかり調べてから理解するようにしなくてはならないと、自分への戒めとして整理しておきました。

 

次回は、その混乱の元となったCIA Records - Name Filesを精査して、具体的に誰かを明らかにします。