本日(2022年3月16日)の中日新聞より

 

他の新聞もほとんど同じ見出しであり、豊橋の古墳から出土した銀の象嵌(ぞうがん)の文様がある大刀について、「大和政権とつながる龍の文様発見」とされます。

 


 

大和政権とつながる」が強調されています。

この「つながる」は、この大刀が大和政権から東三河地方穂の国」の豪族に与えられた意味であるとされます。

果たして、この大刀は、大刀が発見された「穂の国」の首長が、大和政権から与えられた大刀なのでしょうか。どこに根拠があるのでしょう。

 

新聞記事には、根拠が示されていません。

 

豊橋市・東三河の地元の新聞「東日新聞」の内容がいちばん詳しいようなので、この記事を参考にしましょうか。

 

2022/03/16 

 愛知大学綜合郷土研究所と豊橋市文化財センターは15日、60年近く前に市内の古墳から出土した大刀(たち)に、銀で細工された龍(りゅう)とみられる文様が見つかったと発表した。刀身に銀象嵌(ぞうがん)が施された大刀の発見は国内4例目という。

 大刀は全長94センチ、幅が最大4センチの鉄製。刀身に彫られた溝に銀をはめ込んで磨く技法で、長さ約15センチの龍のような文様が描かれていた。6世紀後半に築かれた円墳の寺西1号墳(石巻小野田町)で同研究所が1965年に実施した発掘調査で、大量に見つかった副葬品の1つとして出土した。

 同研究所で出土品の整理作業をする過程で、さびて劣化が進んでいた複数の大刀の保存処理を行ったことが新発見につながった。同研究所によると象嵌で龍が表現された大刀の国内での出土例は極めて少なく、特に刀身に施した大刀は今回を含め4例しか確認されていない。

 こうした飾り大刀は当時の大和政権から有力豪族に与えられた権威を象徴する重要な品で、出土した古墳に埋葬された人物は「中央にも顔が効く人物だった」と愛知大文学部の廣瀬憲雄教授は推測する。中央政権に赴任し、勤めを終えて地元へ戻るとき大刀を持ち帰った可能性もあるという。

                                            以上、新聞記事

 

 

要するに、新聞記事によれば、発見された大刀は、「大和政権から有力豪族に与えられた権威を象徴する重要な品」といいますが、「大和政権とつながる」とした根拠はなく、あくまで愛知大学の廣瀬憲雄教授の推測にすぎません。

 

いまだに、といいますか、あいかわらず新聞倫理綱領に反して、こうした一方的な報道をするのですね。廣瀬教授は、御用学者的な意見を述べたのか、そのように新聞記者側が切り取ったのか、事実はわかりません。

 

実は、昔、私が新聞記事に書かれている内容について、その意見を述べた学芸員の本人に問い合わせたところ、その本人が話した見解と新聞に掲載された内容が異なっていたということを経験していますので、この手の新聞記事には懐疑的です。

15年前の話ですが、次回お知らせします。

 

いずれにしても異なる見解をもつ専門家の意見も載せるべきでしょう。

 

各地の新聞記事に「大和政権とつながる龍の文様発見」と報道されれば、まるで、この豊橋の古墳で発見された大刀は、大和政権が地方豪族に与えたかのように、多くの人々に誤解を与えてしまいます。

 

とにかく変にねじれた新聞記事なのです。

6世紀頃には、当然大和政権は存在したことでしょうし、大きな力を持っていたと思います。

 

それでは、愛知県の東端の「穂の国」が果たして大和政権の支配下にあったのかどうか明確でしょうか。

証拠は、「龍の文様」が入った刀だけで、そんなことが言えるのでしょうか。

 

新聞は、大和の勢力が愛知の東端まで及んでいたのだと言いたいのでしょう。