長い間、お付き合いいただきありがとうございました。

これにて「吉備巡り」はおしまいです。

 

さて、まとめに代えて、一言。

『日本書紀』に従えば、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)、別名吉備津彦命は、皇紀では紀元前1世紀、通常3世紀とされる崇神天皇十年に天皇の命により四道将軍の一人として吉備に勢力を拡大すべく、「吉備の中山」に陣取っていた在地の王に勝利して領地を奪取したと思われます。

 

ただし、平安時代に干潟になる前には、吉備の辺りの海水面は高く、吉備津彦命が吉備に侵略した3世紀当時は、吉備の中山の周りは海であり、中山は島でありましたから、本拠地である島を奪取することで、瀬戸内海の航路の要に位置する「吉備の穴海」を掌握することが重要であったと考えられます。

 

このあとも5世紀後半の星川皇子の乱など吉備と大和の勢力争いは続きます。

 

一応、「吉備の穴海」の想像図を作ってみました。

倉敷の阿智神社の由緒にあったように「吉備の中山」や阿智神社の周りは海でした。

 

さて、倉敷から一旦、岡山駅に戻り、ゆっくりcoffee time(自撮り)をとったあと、吉備団子をお土産に名古屋駅へ向かいましたよ。