「概要」の説明書きに「中国大陸や朝鮮半島から体系的な水田稲作が伝わり・・・」とあります。
まず、この説明にある認識にやや疑問があります。


確かに、朝鮮半島南部と北部九州には、朝鮮半島や日本列島の中で最古級の水田稲作の遺跡があります。
朝鮮東南部にあるオクキョン遺跡(蔚山広域市)は、孔列文土器突帯文土器を伴うことから紀元前11世紀の遺跡とされています。ここに水田稲作の遺構があります。

 

 

  オクキョン遺跡から出土した孔列文土器とは、無文土器の一種で、無文土器の口の周りに小さな穴の列がある特徴を持ち稲作文化の始期に位置付けられます。九州では孔列文土器は黒川式土器(新段階)に出現し、北部九州から次第に南部九州へ拡散していきます。黒川式土器は、口縁部に蝶ネクタイの上半分のようなリボン状の飾りがつく特徴を持つ縄文時代晩期(BC1000年)の土器です。

 

 

  また、同じくオクキョン遺跡から出土した突帯文土器とは、無文土器の口縁部や胴部の周りに突帯を貼り付けた文様のある土器で、北部九州の山ノ寺式土器、その後の夜臼(ゆうす)式土器も突帯文土器です。北部九州の最後の突帯文土器が夜臼式土器です。

 

 

 

突帯文土器が縄文晩期又は弥生早期の土器で、板付式土器などの遠賀川式土器は弥生前期とされます。
したがって、オクキョン遺跡は、北部九州での黒川式新段階(縄文時代晩期)や山ノ寺式土器(弥生時代早期)が出土する遺跡と同時代に該当します。
 
ところで、面白いことに、福岡県の遠賀川にちなんで付けられた遠賀川式土器は、青森県でも発見されており、日本海沿いに海の伝播コースがあったと理解されています。この考古学の事実に対応する文書が 『東日流外三郡誌』で、縄文時代に陸稲の技術が九州から東北に伝播し、青森県の津軽平野にある田舎館村(いなかだてむら)で陸稲が栽培されていたとします。この田舎館村は米づくりで知られ北方稲作文化発祥の地でもあり、『東日流外三郡誌』の記述内容には真実性があるようで、たいへん興味深いと思います。

  佐原真(元・国立歴史民俗博物館館第4代館長)は、日本列島で本格的な水田稲作が始まった時期をもって弥生時代とすると定義(1975年)しており、これに従って灌漑式の水田稲作が出現する遺跡の山ノ寺土器夜臼Ⅰ式土器を弥生時代の始まりの土器としています。
 
佐賀県小城市三日月町の石木中高遺跡には水田稲作の遺構があり、ここからは、縄文晩期の黒川式新段階の土器が出土しており炭素14年代測定法(AMS法)で紀元前11世紀から前9世紀始めとされます。
 
また、福岡の菜畑遺跡にも水田稲作の遺構があり、ここからは、弥生時代早期とされる山ノ寺式土器が出土しておりAMS法で前10世紀後半から前9世紀末とされます。なお、夜臼Ⅰ式土器が出土した板付遺跡は前8世紀中頃から前4世紀初めでバラツキがあり年代測定の幅があるようですので測定数を増やしてより確実なものにしていく必要があります。
 
整理すると次のとおりです。
  ・石木中高遺跡  黒川式新段階刻目文  AMS法:BC1050cal-BC890cal(85.4%)
  ・菜畑遺跡   山ノ寺式甕底部      AMS法:BC930cal-BC800cal(91.2%)
  ・板付遺跡   夜臼Ⅰ式甕         AMS法:BC760cal-BC680cal (22.6%)、 BC550cal-BC390cal (66.3%)
 
 朝鮮半島と日本列島にあっては、オクキョン遺跡が最古と言われますが、この土器と同じ時期のものが石木中高遺跡や菜畑遺跡で出土しており、総じて言えるのは、朝鮮半島南部と北部九州では、ともに最古級の水田稲作の遺構があると捉えるべきでしょう。そして、その時期はAMS法で明確になったように、紀元前11世紀~前9世紀と認められます。
 
  したがって、「朝鮮半島の水田稲作が日本に大きな影響を与えた」(国立歴史民俗博物館副館長の藤尾慎一郎)とする考え方は、一辺倒な見方であり、この考えと連動したと思われる冒頭の説明書き「中国大陸や朝鮮半島から体系的な水田稲作が伝わり・・・」は適切ではないと思います。