「フロー体験~喜びの現象学」ミハイ・チクセントミハイ著
P241
・大きな苦悩を持ちながら、ただ生きながらえているだけでなく、自分の生活を十分に楽しんでいる多くの人がいる。
考えられる最悪の事態にあってさえ、心の調和を保ち、複雑さを成長させるにはどうすればいいのか。
・悲劇の変換
~途中略~
生活からフローを見出す方法を知っている人は、絶望しかない状況をすら楽しむことができるということである。
ミラノ大学心理学科のファウスト・マシミーニ博士は、人々が極限的な悪条件にもかかわらず、どのようにしてフローを達成するかについて、さらに信じられないような実例を集めた。
彼と彼のチームが調査したのは、過去のある時期以来、多くは事故のために両脚が使えなくなった対麻痺患者の集団であり、若い人が多かった。
この研究の予想しなかった結果は、これら犠牲者の大部分が、対麻痺の原因となった事故は、彼らの人生の中で最も否定的なできごとの一つであるとともに、最も”積極的な”できごとの一つでもあると述べたことであった。
悲劇的な事故が積極的なものと考えられる理由は、その事故が犠牲者から矛盾した、本質的ではない選択を減少させる一方、彼らに極めて明瞭な目的を与えたということであった。
行動能力の低下した状況への新たな挑戦を達成することを学んだ障害者は、以前には欠落していた明確な目標を感じたのである。
生き直すための学習は、それ自体が楽しく誇らしいことであり、彼らは事故をエントロピーの原因から内的秩序を得る機会へと変換することができたのである。
この集団の一人ルチオは、オートバイ事故によって下半身が麻痺した時20歳であり、陽気な給油所の店員であった。
彼は事故の前はラグビーをし、音楽を聴くことが好きであったが、基本的には自分の生活は目的がなく平凡であったと回想する。
事故のあと、彼の楽しい経験は数の上からの複雑さの点でも増加した。
悲劇から立ち直ると彼は大学に入学し、言語学科を卒業し、現在はフリーの税金コンサルタントとして働いている。
勉強も仕事もフローの強い源泉となっている。
釣りとアーチェリーもそうである。
彼は今では地方の車椅子アーチェリーのチャンピオンである。
面接の中での彼の言葉をいくつか挙げる。
「対麻痺になった時は、生まれ変わったようなものでした。それまでに知っていた全てのことを消し去り、違った方法でやることから学ばねばなりませんでした。衣服を着ること、もっと頭を働かせることを学ばねばなりませんでした。私は環境の一部になり、それを統制しようとせず、利用しなければなりませんでした。・・・それは集中と強い意志、それに忍耐を必要としました。これからはもっと進歩し、障害の限界を破り続けたいと思います。・・・誰もが目的を持たねばなりません。対麻痺になってからは進歩することが私の生涯の目標になったのです。」
フランコはこの集団のもう一人の人物である。
両脚が5年前に動かなくなった上、重度の泌尿器障害を悪化させ、何回もの手術が必要だった。
事故を起こすまで、彼は電気技師であり、自分の仕事を楽しむことが多かった。
しかし彼は土曜日の夜のアクロバチックダンスから最も強いフロー体験を得ていたので、両脚の麻痺は最悪の打撃だった。
フランコは今では他の対麻痺患者のカウンセラーとして働いている。
彼の想像を超えた挫折は、この場合も体験の複雑さを減少させるよりも、かえって豊かにした。
現在フランコは、他の犠牲者が失望から立ち直るのを支えること、彼らの身体的リハビリテーションを補助することを主な挑戦と考えている。
彼は人生で最も重要な目標は、
「他者の役に立つことができ、新しい犠牲者が状況を受け入れる手助けができると感じる」
ことであると言う。
P241
・大きな苦悩を持ちながら、ただ生きながらえているだけでなく、自分の生活を十分に楽しんでいる多くの人がいる。
考えられる最悪の事態にあってさえ、心の調和を保ち、複雑さを成長させるにはどうすればいいのか。
・悲劇の変換
~途中略~
生活からフローを見出す方法を知っている人は、絶望しかない状況をすら楽しむことができるということである。
ミラノ大学心理学科のファウスト・マシミーニ博士は、人々が極限的な悪条件にもかかわらず、どのようにしてフローを達成するかについて、さらに信じられないような実例を集めた。
彼と彼のチームが調査したのは、過去のある時期以来、多くは事故のために両脚が使えなくなった対麻痺患者の集団であり、若い人が多かった。
この研究の予想しなかった結果は、これら犠牲者の大部分が、対麻痺の原因となった事故は、彼らの人生の中で最も否定的なできごとの一つであるとともに、最も”積極的な”できごとの一つでもあると述べたことであった。
悲劇的な事故が積極的なものと考えられる理由は、その事故が犠牲者から矛盾した、本質的ではない選択を減少させる一方、彼らに極めて明瞭な目的を与えたということであった。
行動能力の低下した状況への新たな挑戦を達成することを学んだ障害者は、以前には欠落していた明確な目標を感じたのである。
生き直すための学習は、それ自体が楽しく誇らしいことであり、彼らは事故をエントロピーの原因から内的秩序を得る機会へと変換することができたのである。
この集団の一人ルチオは、オートバイ事故によって下半身が麻痺した時20歳であり、陽気な給油所の店員であった。
彼は事故の前はラグビーをし、音楽を聴くことが好きであったが、基本的には自分の生活は目的がなく平凡であったと回想する。
事故のあと、彼の楽しい経験は数の上からの複雑さの点でも増加した。
悲劇から立ち直ると彼は大学に入学し、言語学科を卒業し、現在はフリーの税金コンサルタントとして働いている。
勉強も仕事もフローの強い源泉となっている。
釣りとアーチェリーもそうである。
彼は今では地方の車椅子アーチェリーのチャンピオンである。
面接の中での彼の言葉をいくつか挙げる。
「対麻痺になった時は、生まれ変わったようなものでした。それまでに知っていた全てのことを消し去り、違った方法でやることから学ばねばなりませんでした。衣服を着ること、もっと頭を働かせることを学ばねばなりませんでした。私は環境の一部になり、それを統制しようとせず、利用しなければなりませんでした。・・・それは集中と強い意志、それに忍耐を必要としました。これからはもっと進歩し、障害の限界を破り続けたいと思います。・・・誰もが目的を持たねばなりません。対麻痺になってからは進歩することが私の生涯の目標になったのです。」
フランコはこの集団のもう一人の人物である。
両脚が5年前に動かなくなった上、重度の泌尿器障害を悪化させ、何回もの手術が必要だった。
事故を起こすまで、彼は電気技師であり、自分の仕事を楽しむことが多かった。
しかし彼は土曜日の夜のアクロバチックダンスから最も強いフロー体験を得ていたので、両脚の麻痺は最悪の打撃だった。
フランコは今では他の対麻痺患者のカウンセラーとして働いている。
彼の想像を超えた挫折は、この場合も体験の複雑さを減少させるよりも、かえって豊かにした。
現在フランコは、他の犠牲者が失望から立ち直るのを支えること、彼らの身体的リハビリテーションを補助することを主な挑戦と考えている。
彼は人生で最も重要な目標は、
「他者の役に立つことができ、新しい犠牲者が状況を受け入れる手助けができると感じる」
ことであると言う。