チャレンジして失敗を恐れるよりも、
何もしないことを恐れろ。


やろうと思えば人間は
たいていのことができると私は思っている。


百のうち九十九は失敗。


日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。
どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、
最低なのである。


失敗が人間を成長させると私は考えている。
失敗のない人なんて本当に気の毒に思う。


私の最大の光栄は、
一度も失敗しないことではなく、
倒れるごとに起きるところにある。


私の現在が成功というのなら、
私の過去はみんな失敗が土台作りをしていることになる。
私の仕事は失敗の連続であった。


伸びる時には必ず抵抗がある。


新しいことをやれば、
必ず、しくじる。
腹が立つ。
だから、
寝る時間、食う時間を削って、
何度も何度もやる。


石橋だと分かれば叩かずに、
どんどん渡っちゃう。


人間が進歩するためには、
まず第一歩を踏み出すことである。
躊躇して立ち止まっては駄目である。
なぜなら、そこにどんな障害があろうと、
足を踏み込んで始めて知れるからだ。
失敗はその一歩の踏み込みだと思う。
前進の足踏みだと思う。


失敗もせず問題を解決した人と、
十回失敗した人の時間が同じなら十回失敗した人をとる。
同じ時間なら失敗した方が苦しんでいる。
それが知らずして根性になり、
人生の飛躍の土台になる。


人間に必要なのは困ることだ。
絶体絶命に追い込まれたときに出る力が本当の力です。


人生は
“得手に帆あげて”生きるのが
最上だと信じている。


成功者は、
例え不運な事態に見舞われても、
この試練を乗り越えたら必ず成功すると考えている。
そして、
最後まで諦めなかった人間が成功しているのである。


多くの人は皆、
成功を夢見、望んでいますが、
私は
“成功は、99パーセントの失敗に与えられた1パーセントだ”
と思っています。


私はたえず喜びを求めながら生きている。
そのための苦労には精一杯に耐える努力を惜しまない。


耐える心に、
新たな力が湧くものだ。
全てそれからである。
心機一転、やり直せばよいのである。
長い人生の中で、
そのための一年や二年の遅れは、
モノの数ではない。


悲しみも、喜びも、感動も、落胆も、
つねに素直に味わうことが大事だ。


発明は恋愛と同じです。
苦しいと思えば苦しい。
楽しいと思えばこれほど楽しいことはありません。


私は怒っても、
その人間を憎むことはしない。
偽りのない気持ちを相手にぶつけることが大切。


私はうちの会社のみんなに、
「自分が幸福になるように働け」
っていつもいってるんですよ。
会社のためでなく、
自分のために働けって。


ある日、宗一郎が工場を巡回していると、
若い工員から
「おいっおっさん!
 なにズボンのポケットに手突っ込んで歩いてんだ!
 転んだらどーすんだ!」
と注意された。
その後「正装のズボン」からポケットが全て取り外された。
現在もズボンのポケットは無い。


こちらが悪ければ、悪い人間が寄ってくる。
こちらが信用することによって、
信用される人間が生まれる。


すぐれたジョークは、
すぐれたアイデアに通じる。


何かを深く信じれば、
誰でも自分の中に大きな力を見つけだし
自分を乗り越えることができる。


自分の喜びを追及する行為が、
他人の幸福への奉仕につながるものでありたい。


信用とは、
人に好かれること、
約束を守ること、
儲けさせることに尽きる。


人を動かすことのできる人は、
他人の気持ちになれる人である。
そのかわり、
他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。
自分が悩んだことのない人は、
まず人を動かすことはできない。


人間というものは、
面白いものであり、
不思議なものであり、
必要のない人間というのはいないのである。


かけがえのない「若さ」も、
それを自覚していなければ、
「豚に真珠」「猫に小判」で、
あってなきに等しい。


勇気というのは強いからとか、
勇ましいから勇気があるというのではない。
たとえ、自分にとってどんなに不利な結果になろうとも、
自分が真実であり、
妥当であると考えたことを認め、
それに賛成することこそが勇気である。


苦しい時もある。
夜眠れぬこともあるだろう。
どうしても壁がつき破れなくて、
俺はダメな人間だと劣等感にさいなまれるかもしれない。
私自身、その繰り返しだった。


遺言は
「遣り残した事は無い。満足だった」
現在は地元・静岡の富士山の麓の墓地に墓があるが、
大変地味な墓である。


人間、生をうけた以上どうせ死ぬのだから、
やりたいことをやってざっくばらんに生き、
しかるのち、諸々の欲に執着せずに枯れ、
そして死んでいくべき、
という考え方だ。


-本田宗一郎