昭和54年 卒業のこと
それはもう遥か遠い日々のようだが。
旧友との親交に言葉を交わすと
その顔から あの日 あの時の記憶が
まざまざとよみがえってきた。
49年~44年前の記憶だ
あれから日々は流れて
アルバムを紐解くと
そこからの年月は 勉強のできた人々の今
ある人は 医師となり、開業医や教授になられた人、会社経営者
弁護士、役員、銀行、上場企業での勤続、海外での生活の方も
幾人か、そして 多かったのが教員になられた人々
コロナ渦で中断した 同窓会が8年ぶりに開催された。
その中で、近況報告の最後に話したのは
3A時代から 時を経ての自分だった。
母校は 社会の中でも多くの人材を輩出している
進学校と云われている中でも
唯一無二の 経歴だろう
「極真空手を在校中に入門し、当時すでに他校からの練習生と鍛錬した日々
それが今も稽古する武道の基本となり、また、父に同行した川漁をへて
長良川漁業組合の本職の川漁師となり、全国に鮎を出荷し、生業とし、
また、全国や海外で食べ歩く中で身に着けた 料理の味を頼りに
気まぐれ料理 きわみ を開業とし、生きるなかで 編み出した人生」
時を経て、現在の母校の教鞭を取られる先生にもご来店
戴ける栄誉に深く感謝する次第で・・・
それが 今 有難いことに弟子との漁に 旧交との交流に
また、弟子との稽古の中で、突き詰めることの大切さを学んでいる。
あえて言うなれば 武道家 料理人兼 川漁師=
これを総称し、「川マタギ」の生き方となった。
高校を出て即 フランス極真会の門を叩き、独特かつ波乱の人生を
経過したのは はやり 長良川決壊のあの時からだろう
高校1年の時の交通事故でも 無傷で今 あるのは やはり空手があったからと
云わざるを得ない
誰に語ることもなく ただ ひたすらに研鑽したこと
それだけは唯一の自慢なのかもしれない
師 大山倍達総裁 曰く
「稽古は自分の為、刀は鞘の内に収め、いざという時には切れるように することが武道家の
姿なり。なぜ 生きるのか」
その根源は 若き自分にある