山科人
朝の連続ドラマ「あまちゃん」が流行ったのはもう数年前になるだろうか。主役の能年玲奈や他の登場人物が、「じぇじぇじぇじぇ」と言うのを覚えている人は多いだろう。驚いた時、発する三陸地方でもごく限られた地域の方言らしい。流行語大賞にも選ばれた。はたから見ると、とても奇異に思えた言葉であったが、何回も聞いているうちにその使い方がしっくりとなじんでくるのは不思議な感覚であった。
山科にもそういう言葉があった、という話をしたい。「いっしゃ」である。
60年前、小学生の下校途中である。子どもの足で40分かかる道のり、道草をするのは常であった。ある日、いつものように数人でぶらぶら歩いていると、道端でヘビを見つけた。とっさに男の子が石を投げつけると、たまたま命中してしまう。白い腹を見せながら、のたうちまわるヘビ。そのそばで別の子が叫ぶ。「いっしゃ。ヘビを殺したらあかんのにい。ばちあたるわ」。わかりやすく言い換えると、「イヤア、蛇ヲ殺シタリシタラ、アカンテ親ガイツモ言ウテルノニ・・・・」(どうもうまく言い換えられたとは思えないが)となるだろうか。
男よりも女の子がよく使っていたように思う。特にこの言葉を使った後には、「言うたろう、言うたろう、先生に言うたろう。」という脅し文句が続いていたように記憶している。とんでもない残酷な結果に対する非難の意味があったのではないか。文法的には、単なる感動詞と呼ばれる品詞の一つで、その語の通り「感動や反応、呼びかけを表す」言葉なのであるが、そんな簡単に別の語で置き換えることはできないのが悔しい。残念ながら、最近はとんと聞いたことがない。「いっしゃ」という言葉を聞いてなつかしく感じる人は、おそらく現在70歳以上の方だけだろうし、きっとその使い方のシチュエーションがそれぞれの人にきっと浮かび上がっているはずだ。
沖縄には「あきさみよー」という言葉があり、場合により「あっさよー」「あきじゃびよ」などと色んな変化をする。
私は、この語源は古語の「あさむ」からきているのではないかと思っている。「こぶとり爺さん」が出てくる『宇治拾遺物語』では「集まり居たる鬼ども(おじいさんが突然飛び出して舞ったのを)あさみ興ず」とあり、予想しなかったことに対して驚きあきれ、おもしろがっている。「あさみ」→「あっさむ」→「あっさよ」となったのだろう。もしこの推論が正しいのなら、「日本語の中心圏から同心円状に離れた地域で古い言葉が残っている」という柳田國男の仮説「方言周圏論」の実証をすることになる。800年前の日本語が現在の沖縄にある。
那覇市の市場で「このゴーヤー、500円もするわけ?あきさみよー」というオバアのでかい声がするとしよう。この時、それは気心知れた相手に使っている。だから沖縄の人が本土人(ヤマトンチュ)の自分のそばでこの言葉を使ってくれたとすると、それは仲間として認められていることになる。沖縄の人同士で、しかも親しい間柄でしか使わないからだ。(「このニュアンスを、おまえは理解できるだろう? だからお前の前でこの言葉をあえて使ったのだ。」)
「いっしゃ」に限らず、「驚く」言葉には、使う人の繊細で絶妙の意味合いが込められているようだ。