帰郷
お父さん。
チチキトクの電報で入来の駅に降りたのは五年振りのことでした。
懐かしいユンタ丘が迎えてくれました。
ユンタ丘を眺めていると小柄なシワのお婆ちゃんが近ずいて来ました。不覚にもこのお婆ちゃんが母であろうとは、「ミッチャン」と私の姿を見上げ見下ししている象のような目、私は自分の目をうたぐりたくなりました。
五年前家を出る時、駅まで見送ってくれた母は丸顔で福よかでした。
五年の年月は人をこんなにも変貌させるものでしょううか。
背丈も小さくなった母の肩を抱くようにして私達は家へ帰りました。
門を入り玄関の前に立つと屋根には枯れ草が茫茫とおっ立っていました。
二人の息子と三人の娘の誰一人居なくなった老人の家、「只今戻りました」、式台を上がり表の間の病間へ、手をついて挨拶をする私の前に、ボロボロと涙を流し、母に助けられて寝床に坐ったまま何も云はぬお父さん。
「舌もまわらんごとなられてなぁ、そいでん耳はきこゆっとよ。体は太られたのではなく、はれちょるのよ」、と
お気に入りの毛足の長いロシヤ毛布(学資を出して上げたことを恩に着て従兄がハルピンから送ってくれたもの)を肩にかけ老惨の姿。
ワインカラーとアイボリーの鮮やかな毛皮のような毛布で体を覆った姿は虎のよう。
これが且って近歩の調書に眼光鋭しと印され幼い私を恐れさせた激しいお人であろうか。
私の目からも涙が溢れポトポトと畳におちた。
このような老父母を置いて五年間、東京で苦闘していた私、私の中を冷気が走った。
私はお父さんにお土産を差出しました。私の働いている銀座の洋装店のママさんからいただいたものでした。
箱を開けると只一個、特大の栗饅頭でした。
母は目を丸くして驚き、「東京にはこげん太か饅頭が・・・・」、と云ったまま目の高さまで持上げて押しいただくのでした。
「こんな大きなクリマン田舎にはないやろ思うてな、ホッホッホッホホホ」、と渡してくれたマダムのミンクに包まれた姿が遥か遠くのもののように思へました。
昭和一六年一月厳寒の暮時。
以来十三日夜も昼も殆んど眠ることのない母と二人の看病の日日でした。