ryobeのブログ -10ページ目

ryobeのブログ

ブログの説明を入力します。

古里物語り

                              若松ミチエ

古里物語り

第一部        若松ミチエ 

  序章

父への手紙を書き始めて三十余年、まことに気の永い話である。

何千枚かの原稿を見て次男良は言った。

「原稿紙におわりと書いたまま、お母さんはそのまま死ぬのではないか。」と
書くことが生きることとなって以来、私は働きながら書きながら死に至るつもりなのです。

古里物語りとは、二十一歳にして古里を出発以来眼底に焼き付いている鮮烈な故郷の風光を舞台に展開する話しであるからです。

古里とは私にとってメルヘンの世界であり、苦悩の世界であり、究極に帰へり往く華と至宝の世界でもあるのです。

今や私の中に入ってしまった古里、魂の古里、物語は父の死に始まります。

なくなる直前父はこう申しました。

「別に大した仕事をやったとと云うのではないが、俺は男としてやり度いだけの仕事をやった。

仕事は未完のままで死を迎えるが、仕事に了りと云うことはない、この上は再び土地を求めて仕事を続けたい。」と

「残念なことは力の限りやった仕事のことを歌に歌えないことだ。」と

今死に逝とうとしている人が、再び土地を求めるとは一体何処の土地のことであろうか、この宇宙の何処に土地を求めて道をつくろうと云うのか。

それにしても何と幸せな人であろうかと思う。

男としてやり度いだけの仕事をやったとは。

そして歌に歌えないとは単なる辞世の歌の意味であったのかも知れない。

死の床に一人座って居た私はこのことを拡大解釈したのであろうか。

以来何千枚もの手紙にの形で父の歌を書いたつもりの私、気がついて見ると父のことについて何一つ解っていないということである。

道を作ると云うことを生涯の仕事としたこと、貧しく育った幼時、青年期に呉服商となり、そのいささかの資金をもって小さな町を作り、道を作り続けたこと、馬鹿のような人と云はれながら道を作ったこの行為は一体何に発しているのであろうか。

父の蔵書は印哲と支那哲学である。私は思う老子の道と云うことに関係があるのではないかと。