父・若松嘉兵衛への序
死の前夜、お父様が母にいはれたと云う言葉、その言葉が常に頭に遺言のように密着して離れません。
「俺の仕事は未完に終わる、何時まで経ってもつばめ(完成)のとれん男とは俺の事ぢゃ、而し俺は思う通りの仕事をやった。
人間として思い残す事はない幸せ者よ、但し一つ残念な事がある。
生涯の終に臨んで歌に歌へぬ事だ」と。
この事を母から聞いたのは、お父様の死後何ヶ月か経ってからの事でした。その時、私は泣き度い程後悔致しました。
父と娘の対話の余りに少な過ぎた日々の、今更取返しのつかぬ遥かに過ぎ去った日と時を。
この年で、母と共に承はり度かつたその言葉、その感慨とはどのようなものであるかを話していただき度かったと思いました。昭和十六年一月二十八日午前二時頃、対中戦の最中、愛国の人として、また大きくは世界に通ずる体得者として、意義ある生涯を閉じられたお父様、その年の十二月八日、日本はさらに対アメリカ戦に突入したのでした。対アメリカ戦近の頃、私は夜学に通って居りました。昼間は洋服屋として働き、夜は世界史や文学史の講座の勉強にいそしんでいたのです。一握りの女子学生の他に、大部分は男子で、大卒の人、在学中の人ばかり、女子商業卒の学力しかない私にとって講義は難しく、ノートをとることすら出来ない有り様でした。
前日のノートを提出する事になって居りましたが、ギッシリと書き詰めたノートを提出している人々に混じって、私は只の一頁も埋める事は出来ず、無能さに腹が立つ思いでした。そんな或日、フランス文学史の講義の時、教授は原稿の提出を求めました何でもよいから作品を出して欲しいと云うのです。原稿の内容に就いて、何人かの質問者がありました。何人目かに私の胸は異様にドキドキと、その音が自分の耳に響くように聞こえるのでした。
教授に指を指された私は、恐らく蒼白になって立上がっていたと思います。私は自分のほとんど呟くような声を耳にしました。
「私は一つのテーマを持って居りますが、それを表現する場合、大へん幼稚な形になると思いますが、そのようなものでも先生は見てくださるでしょうか。」
女性のように細く華奢な手をしたその先生は眼鏡の奥の優しい目と熱意のある口調で答えて下さいました。
「どのような幼稚でもかまいません。拝見致します。」と、その声はよく通る太く力強い声でした。これに力を得た私は早速夜中の三時までかかって、二百字詰原稿用紙三十三枚書いて送ったのです。折返し、「原稿大変面白く拝見致しました。お目にかかって色々お話ししたいと思います。」という返事が参りました。
お父様のことを書き始めた当時の模様は右のような次第です。この先生に会わなければ、無力の私にとって、書くという勇気は湧いて来なかったと思うのです。「謝辞丸山熊雄先生」、とは云っても、お父さまの全貌について、私が書き現わせると云う自信は更にない事を告白しなければなりません。幼にして逆境にして陥ち、高等小学校で学業を断念しなければならなかったお父様は、云はば独学でしたが、明治生まれの人らしく、老荘の哲学を含む支那哲学、及び印度哲学、世界史、日本史、中江兆民、幸田露伴等(その歴史書のことは幼い私供の目を日本土代に向けて興味をそそったことを覚えて居ります。)座右の書として人間形成の師とし、自らの実践の道を見出されたことと想像致します。お父様をこのような道を見出す教育をしてくださった幕末生まれの明治前期の真実の教育者の貴重な存在も見逃すことはできません。
私と云ううお父様の子供の目から見る時、何一つ実践者としてお父様に及ぶことのない状態では、偉大なる父という他ありません。これはあくまで他人の目を除外しての事で、他人から見れば、「何だあの位の事」と云うことでもあるわけです。今一人シノブ姉の考えもほぼ私と同じと思います。自己の財力で山を崩し町を建設し、道を作り大きな家を新築し男子は大学まで、女子は高校に入学させた教育面、他人の借財まで支払う責任感、秀才に学費を与えた親切心、外面的の事はともかく、お父さまの内面に立入る事はさらに老荘、印度哲学、歴史観、どれ一つを採ってみても私の理解の及ぶ処ではありません。唯一筋の白く光る大道を、樫の木の彫像が生きて動いているかと思う程、美男であった壮年の頃のお父様の裸像、そのお父様が悠々と大道を歩み去られた今、私にできる事はその時々の行動に現れた父の姿を捕らえ、これを書き残して置くこと以外にはないと思います。それがお父様の歌となれば幸いです。ミサオ姉夫婦も亡くなりました。シノブ姉の夫、佐太郎氏も亡くなりました。
戦後才女ブームと云われ、幾冊も幾冊も本を書く女性の多い中に、戦前から何十年をかけて、私は一冊お父様の本を残すべく、懸命に励みたいと思います。
それは私にとって、かけがいのない良き姉、シノブ姉の協力によって、必ず成し遂げなければならないと思って居ります。シノブ姉は資料を提供し、又、清書に協力し、又よき助言者であります。お父様に比し、何一つ成し得ぬ私供姉妹の唯一つのとしたいと思います。お父様を描くのに、それが例えば氷山の一角を描くに過ぎないとしても。