ダンテは地獄に堕ちた人間を「ざまあみろ。」という目で書いているのだと人に聞いたことがあります。私には解りませんが、私は私自身が地獄の住人なるが故に書いたのです。
私の書き方は誠にとりとめのないものです。
「こんなもの俺にも書けそうだな。」と云った人もあります、その通り誰にでも書けることです。自費出版ブームの時代です。文盲の殆どない日本では誰でも書くことが出来ようと云うものです。
山内堤象のことに戻ります。
江田島兵学校の時従兄は〇〇宮様と同期であったと云うことです。
宮様は「山内、家に遊びに来い」、とちょいちょい気安く云はれるので従兄は度々御殿に伺ったということです。
この話を聞いた従兄の母は吃驚仰天「お前そんなおとろしか(畏れ多い)御殿なんぞに行かないでおくれ」とおろおろとして云ったと云う。
戦前と戦后との日本はがらりと変わってしまい現代っ子には想像もつかないことですが、伯母は明治生まれの明治育ち、而も東京など今の感覚でいえば外国程の遠い処であったサツマの田舎の農家の主婦です、大正生まれの私でも明治のことは感覚的に捕らえにくい事です。
皇族の事など雲の上の出来ごとで地を這う農家の女には只恐ろしいようなものであったのでしょう。
伯母が仰天したのも無理はありません。
スラリと背の高い、夏服姿の殿下のハンサムな貴公子振り、子供の私も世の中にはこんな綺麗な男の人が居るのかと目を丸くしたものです。
寫眞を見ていた母が云いました。
「よかにせさんなあ!!」美男子でいらっしゃると。