こんにちは。ふるりえです。
手組みの日本古来の紐で
その昔は
武士の冑の緒などとして愛用され
現在は婦人の帯紐
男性女性の羽織紐やループタイなど
多種多様に用いられているそうです。
間々田紐は、大正中期
初代の渡辺浅市氏が
東京の組紐問屋での年期奉公から
実家の間々田に戻り、下請けとして
店を構えたのがその始まり。
その後 昭和30年頃
民芸研究家の柳宗悦氏、近藤京嗣氏が
店を訪問し、
「真田紐」の真田と
地名である 現栃木県小山市間々田
(ままだ)の語呂が
似通っているところから
「間々田紐」 と命名されたとか。
特に、益子町の日下田博氏
(栃木県無形文化財技術保持者)の
染め上げた国産の正絹糸を使った
草木染めの作品は、
柳宗悦氏から高く評価されました。
草木染の素朴で使うほど味が出る風合い
機械ものとは違う手組みの
やわらかさと上品さ、
そして帯締めは一度締めると緩まず、
着崩れを起こさないのが特徴。
私のはストラップなので
"締め心地" はわかりませんが、
絹と手組みだからこその
"触り心地の良さ" があります
これから使っていくうちに
草木染ならではの風合いも
楽しめるのだと思います
8月は
実家のことで
これまでになく
時間と神経を使いました。
そして
「これから自分はどう動こうか」
と考えこれまでにない動きもしました。
それはそれで
やれてよかったと思っています。
こういうことができるようになった
今の環境があるのは
夫の理解と協力
そして息子の成長あってのこと。
改めて幸せなことだと思いました。
先月はこれまでになく
何度か実家に行ってきましたが
最後に実家に行った日は
夜22時まで父母と話をし
自宅に着いたのは
午前1時くらいになっていました。
これまでは、実家を夕方に出て
夕飯は外で食べて帰っていましたが
この日は
(息子が旅行で宿泊だったこともあり)
父母の夕飯の様子もみてから
帰ってみようかと思い、
3人で夕飯も食べました。
ちょうどこの日は
薬局の人が薬を届けてくれたときに
母と私が買い出しで留守にしており
メモ書きが置いてあって
支払い返金など
イレギュラーな件もメモにあって
母が困っていたので、
そちらの対応も私がやれて
⬆認知症の母には
こういうこと一つ一つが
不安と混乱の原因に
なっているのだろうと思いました。
「ふるりえちゃんがいる時でよかったぁ」
と、母は何度も言っていました。
1ヶ月分の薬の管理をしやすいように、
1包ずつ日にちを書いて貼る作業なども
夕飯後にあり、
それが終わったら帰ろうと思っていたら
私たちが買い出しに出ている間
昼寝をして目が冴えた(?)父が
再び話し出し、22時になっていました。
実家で過ごした大半は
父に寄り添って話を聞きましたが
途中と最後は、私も
言いたいこと、
言うべきだと思ったことを
父に言いました
父の発言が
「男尊女卑」から
次第に「被害妄想」
そして「記憶の改ざん」になっていき、
聞きながら つい口をはさみました。
父の発言に対して
私が反論したり、
母や弟の気持ちを代弁したりもしました。
その中で
「息子との長かった
おこもり生活の苦しかった話」
も引き合いに出したりして、
今、父の介護で一切の自由がない
母の苦しさ、大変さに
全く感謝を示さない父に
少しでも気づいてほしいという思いで
話しましたが、
父の頑固さは増していました。
私自身が納得いかない父の言い分に
対しては
意地悪い指摘や質問をしたり.......
"昔の、何も喋らなかった私" と違って
"息子との長年にわたり
長時間バトルをしてきた今の私" は
無意識に、父に怒鳴られても
言いたいことは言っていました。
(そしてこの流れから、その後どんどん
私の蓋をしていた記憶や感情が
溢れてきて、両親にはまだ
言っていないけれど言いたい衝動に
駆られる話は、まだたくさんあります。
それらを自分の中で
どう収めていくか......
そういうことも含めて、
なかなかブログを書けずにいました。
まだ今もどんどん父母弟に対する思いが
出てくると同時に、
それが意味するものや背景、影響など、
知らなかったことや
薄々感じていたけれど気のせいと
思ってきたことが
つながり整理されていく日々。
今はその途中なので、
今回は詳しくは書きません)
こうして、私の本当の気持ちの一部を
いろいろ話したので
父母からしたら
意外だったかもしれません。
そして今回、当然そんな時 父は
「いいから聞け💢」と怒鳴りました。
小さい声(しか出せません)でしたが、
やはり父の恫喝は怖かったです。
実家を出る時、外で母と二人で立ち話。
私が
「今日はだいぶお父さんに言っちゃった」
と言うと、母は
「いいよ。
あれくらい言わないとわからないから」
「うん。昔だったら私、
ビンタされてたね!
でも、今のお父さんは
(パーキンソン病で自分で動けないから)
ビンタできないからね
だから言えたのかも。
小さい頃は
怖くて言えなかった」
私がこう言ったら、
母も一瞬ハッとしていた気がします。
そして何より
私自身が驚いていました。
帰りの車の中で
いろんなことが思い出され
いろんなことが繋がり、
気づいてしまったこと、わかったこと、
もっと知りたいと思うことなどが
次々と出てきて、
家に着く前にファミレスに寄って
1時間くらいその日のことを
ダーっと書き出し、
そこから数日は
思ったこと感じたこと気づいたこと等を
どんどん書き殴っていました。
1日10数ページペースで
毎日数時間ずつ📖🖊
そして
ブログには
書かない方がいいようなことも
たくさん思いました。
そして納得しました。
ただ、疲れも出ました。
昼寝もボランティアの日以外毎日しました。
この時期は毎年停滞中
だから仕方ないかな〜と思いつつ.......
母と電話のやりとりも先週までは
短時間ですが、ほぼ毎日。
実は、父のデイサービスが
本当は私が最後に実家に行った日が
初日で、そのために私も
認知症で理解が危うい母が
困らないように
事前に電話でマメに連絡をしていました。
ところがまた、父は前日に
お試しデイサービスをキャンセル
ようやくここまでこぎつけたのに......
これに激怒した弟が
私に電話で爆発💥
「『もう 今後一切電話してくるな💢』
って言ってやった!」
と言い、弟の気持ちもわかるので私は
「それでいいと思うよ。
お母さんの方には何かあったら
私に電話くれるように言うよ。
それでTちゃん(弟)に動いてもらわなきゃ
いけないことは
私からTちゃんに電話するだろうし、
ケアマネさんからも
Tちゃんに電話行くんだろうけど、
お母さんから直接変なタイミングで
電話があるよりはワンクッションあって
Tちゃんも少しはマシでしょう」
この電話の翌日
私は実家に行ったわけですが
(弟には「だからお姉が明日実家に行って
も意味がない」と言われましたが)
実家では両親に
"弟の気持ち" と
"そもそもデイサービスがキャンセルに
なったこと(やその経緯)を
よく理解できていない母に説明"
するところから始まりました😂
そして
「そういうことだから、しばらくは
弟に電話せず、まずは私に」と伝え、
書類手続き上
弟でなければならない件が
ひとつだけ出てきたので、
それを後日、私から弟に電話したら
(弟が『自分が動かないと父母は困る
だろう』と思ったオムツ等の買い物も
全部済ませてきたよ
と伝えたからなのか?)
また弟から不機嫌を浴びせられ消耗
私の良かれと思ってやった行動が
弟の存在意義をへし折ったか......
そしてしばらくは
弟に電話で聞けないことを
私に電話してくる母。
「お母さんの健康保険証って
どこだっけ?
お父さんのは〇〇にあるんだけど。
Tちゃん(弟)に預けたってことはある?」等......
私も弟に怒られたくないので
知恵を絞って
母の健康保険証の場所はココ
と思ったところを探してもらったら
「あったわ。△△の後ろになってて
見えなかったけど、あったんだわ。
ありがとうね」
と母に安心してもらい、弟を怒らせず、
私も弟に怒られずに済んだり。
それでも
その後ようやく母からの電話もなくなり
日常が戻ってきたと思ったら、
9/1夜、弟から電話が
「今日、実家行ってきた。←え⁉️もう関わら
ないんじゃなかったの? まだ1週間......
お父さんと1時間45分話してきた!
とりあえず "デイサービス週1" から
やってみることになった」
と弟はご機嫌に語ります。
どういう気持ちの変化なのか
⬆父も弟も
私の穿った見方では
弟はやはり「自分で動きたかった」、
そして父は私に厳しいことを言われて
今後当てにならないと思い、
そこに弟まで来なくなったらまずい
と思い、弟が来ただけで嬉しくなって
YESと言った?
私が常にこういう考えになることも、
今回いろいろ振り返り、調べて
わかったことにつながります。
親との関係、家族構成の及ぼす影響は
大きいですね......
訪問診療で
また足のむくみが悪化していて、
それは歩いていないからだと指摘され
弟が父を「説得したら、やる気になって
最後はお父さんニッコリしてた」
と嬉しそうに語る弟。
もう、こういう内容の電話を聞いて
私は 「ふーん」 と冷めきっていました。
こういう時
弟と私は、物心つくまでの
育てられ方が違うからねぇと思います。
母は弟が生まれる時、
「お父さん、もう子どもには
暴力をふるわないで!」と言い、
そこから私も父に手をあげられることは
なくなりました。
父が"デイサービスを嫌な本当の理由"
のようなものを
先日 私と母は聞いてしまっていて、
次はもう
いきなり施設入所なんだろうなー
と思っていたのと、
弟があれほど怒っていたのに
もう実家に行って
こういう話をしてきて
「父がにっこりしてた、
今度はその気になってる」
という話を聞いて
すぐ怒って、すぐケロッとする人たち
私はやっぱりダメだわぁ
そう思ったら
何だかこのところの私は
30〜40年前と同じ役割を
また演じているのではないか❓
苦しいなー
こう思いながら停滞し
これから自分は
どこまでやりたいと思っているのか
やれるのか
どこまで許せるのか
何が得意で何が苦手なのか
ここでしっかり見極めて、
無理しないでいこうと思いました。
話は飛躍するかもしれませんが
息子が不登校になり
反抗期に大暴れした時
私が息子に強いことを言った際、息子に
「なんで親の言うこと
聞かなきゃいけないの!」
と言われ、私は
「ママはそう言われて育った。
親の言うことは聞くもんでしょ!」
でも、そう言った瞬間
あれ?違うかも......
と思ったのを覚えています。
私は、息子が15歳の頃
つまり私が45歳の頃まで、
なんの疑問も持たずに
「子どもは
親の言うことを絶対にきくものだ」
と思い込んでいたのです。
あの時大事なことに気づけてよかった。
そして奇しくもあの頃に父は
パーキンソン病の診断を
受けたんだなあ……と思い出しました。
そしてまた
ここには書けない
いろんなことを思う日々です。
そして、8年前の明後日、息子は
「Kくんの人生、なんなんだー💢💢」
と喚きながら
4時間 廊下に立てこもりました。
というわけで
今月は実家に行くのやめておこう!
今月は自分のための外出を
一度はする!
と決められました。
8月は
一度も、自分のためのお出かけが
できませんでした。
まずは自分を癒して
元気になるところから
昨日は、市内唯一の釜飯専門店で
お昼を食べてから、
たまった用事を諸々
済ませてこられました🚗³₃