昨日行われた衆議院選挙制度協議会で、30年前に当時の河野洋平自民党総裁との会談で現行選挙制度の導入を決めた細川護煕元総理から当時の話をうかがいました。

選挙制度に関する話はもちろん大変興味深かったのですが、私が最も印象に残ったのは、細川政権ができる経緯の話です。

ちょうど30年前の7月に行われた総選挙では自民党が過半数割れし、選挙後にどのような政権ができるかは、この選挙で躍進し、選挙前から選挙後は共に行動することを約束していた日本新党と新党さきがけが、どう動くかにかかっていました。

この時、日本新党とさきがけは、「政治改革政権の樹立」との旗を立て、「政治改革の実現を約束する政党と組む」と“この指とまれ“の行動を取りました。

それにすぐ賛同の意を表したのが、自民党と共産党以外の党。

そこで非自民非共産の連立政権となったというのです。

1955年以来初めての非自民政権は、こうして成立しました。

そして政治改革をやるために作った政権だったからこそ、さまざまな困難を乗り越えて選挙制度改革が実現したのだと思います。

細川元首相は「自民党が賛同していたら自民党との連立も考えていた」と言われました。

もしこの時、日本新党とさきがけが自民党と連立していたら、その後の日本政治は全く違ったものになったはずです。

まさに「歴史の分岐点」で、小さな政党ながら旗を立てて“この指とまれ“をした日本新党と新党さきがけの行動が、新しい政治の流れを作ったのです。

今度は私たち国民民主党が新しい政治の流れを作り出せるよう、頑張りたいと思います。