さる25日の衆議院本会議で故安倍元総理に対する追悼演説が野田元総理によって行われました。

野田元総理の演説は聞く者すべてを引き込み、議場全体が固唾をのんで野田元総理が発する言葉の一言、一言に耳を傾けました。

野田元総理の演説を聞いて、あらためて気づいたことがあります。

それは「言葉には重さがある」ということです。

同じ言葉でも、それを発する人の思いや熱量によって、その言葉を受け止める人への伝わり方は全く異なります。

野田元総理の言葉には心の底からの安倍元総理への惜別の思いが込められ、そのためにその一言、一言がきわめて重く、一言発せられる度に、まるで鉛の球を受け止めるようにドスン、ドスンと私の心に響きました。
言葉はただ正しければいいというものではなく、その言葉に自分が持つ思いと熱量を目一杯込めて発すれば、その言葉は「重い言葉」となって相手に伝わります。

逆にどんなにすばらしい言葉であっても、自分の思いや熱量を込めなければ、その言葉は「軽い言葉」となって相手には伝わりません。

野田元総理の演説を聞いていて、あらためてそのことに気づかされました。

民主国家における政治家にとって最大、そして唯一の武器は「言葉」です。

「言葉」こそ、私たち政治家にとって命です。

いま一度、自分は思いと熱量を込めた「重い言葉」を発することができているかどうか、「軽い言葉」になってしまっていないか、常に自分で確認しながら、言葉を発するように心がけたいと思います。