今日は憲法記念日。

これまでの日本の憲法論議は、あまりにも現行憲法の文言ばかりに目を奪われ、真に“憲法”を論じるのならば目を向けるべき、日本の国柄(歴史・伝統・文化)にはまったく意識が向いてこなかったのではないでしょうか。

真に実のある憲法論議を行うためには、私はまずはそもそも「“憲法”とは何か」という点に着目し、“憲法”に関する共通認識を国民が広く共有することが必要だと思います。

“憲法”は英語の“constitution”を日本語訳したものです。

“constitution”の語源は「共に立つもの」。

そこから「組織」や「構造」、「性質」という意味が導き出されます。

これを国で考えれば、歴史や伝統、文化によって作り上げられた国のあり方、すなわち「国柄(くにがら)」を表すと言うことができます。

つまり本来、“憲法”とは単なる成文憲法だけでなく、その国の国柄といえる事柄をも含めた総体を“憲法”と考えるべきなのです。

このことは憲法のルーツと言われながら、成文憲法を持たない不文憲法の国、イギリスを見ればよくわかります。

イギリスの憲法は長い歴史の中で積み重ねられてきたマグナカルタや権利章典など文書に書かれたものと、コモンセンスのような慣習で文書になっていないものとが、いずれも「憲法(constitution)」として位置付けられています。

一方、「成文憲法」の国の代表格であるアメリカやフランスは、独立戦争やフランス革命により、過去とは断絶をして新しく生まれた人工国家です。

これらの国では「独立宣言」や「成文憲法」によって初めて、過去とは違う新しい国柄を規定したのです。

だからこそ憲法といえば、それは成文の憲法を意味しているのです。

日本はイギリスとアメリカやフランスのどちらに近いかといえば、あきらかにイギリスです。

日本はイギリスと同じように、いやむしろイギリス以上にずっと継続した長い歴史を持つ国です。

そうした国の“constitution=国柄 ”を、わずか75年前にできた成文の「日本国憲法」だけで表し切れるものでしょうか。

たとえば「十七条憲法」の第一条「和を以て貴しと為す」。調和を大切にするのは、まさに日本の国柄です。

ならばこの「和を以て貴しと為す」は憲法に含まれると考えていいのではないでしょうか。

また「五箇条の御誓文」にある「万機公論に決すべし」。

これは民主主義を取ることを宣言したものです。

ならばこれも憲法の一部と言っていいと思います。

このように日本の長い歴史の積み重ねの中で、現代においても通じる「日本の国柄」と言えるようなことは、それが文書になっていようがいまいが、すべて日本の憲法であると考えれば、憲法論議のあり方も随分変わってくるはずです。