さる9月24日、イギリスの最高裁判所はジョンソン首相が行った議会の閉会は「unconstitutional(違憲)」との判決を出し、この判決によって議会が再開されました。

ご存知のようにイギリスは成文の憲法は存在しません。

しかし憲法がないわけではありません。

マグナ・カルタや権利請願、権利章典のような制定法や判例法であるコモン・ロー、さらには習律(convention)と呼ばれる慣習法まで、国民の自由や政治の基本枠組みに関わる各種ルールの総体がイギリスの憲法です。

ジョンソン首相の議会閉会は、この習律に反するので「違憲」と判断されたのです。

もともと憲法という訳を当てたconstitutionという言葉には、構造とか性質、体格といった意味があります。

そのもともとの意味からすれば「憲法」と訳すよりも、「国柄」と訳した方がいいのではないかと私は思います。

そして日本の憲法(constitution)を論ずる場合にも、こうした観点で考えてみたらどうでしょうか。

日本はイギリス同様、長い連綿と続く歴史を持った国です。

この長い歴史の中で積み重ねられてきた日本の国柄と言えるようなもの、たとえば聖徳太子の十七条憲法の「和を以て貴しと為す」などは、先のラグビー日本代表チームの合言葉「one team」に見られるように、憲法のひとつと言えるのではないでしょうか。

私は憲法の議論をするに際し、成文の現行日本国憲法にのみ着目した議論ではなく、長い歴史の中で育まれてきた「日本の国柄」と言えるような慣習法のようになっているものまで含めて、広い土俵での憲法議論を行う事が大切だと思います。