不妊治療を乗り越えて② | ブルカルボニックのブログ

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前回からの続き。


惨めで、どこにも居場所がないと感じたし、もう義実家の集まり行きたくないなと思った。


結婚して初めてのお正月だったのにな…。


その日は自宅に帰って、どっと疲れが出たし悲しみが溢れました。


私の惨めな気持ちは、日に日に強くなっていき、「子供を産んでない嫁の私には存在価値がない」「虚しい。もう死にたい」と負の感情が溢れて行きました。


もちろんそんなこと誰にも言われてません。

自分で勝手に悲観的になり、どんどん卑屈に追い込んでいってしまっただけです。


なぜそこまで思ってしまったかって、後になって思うと、「子供産めん嫁はダメだ」と、私の実の父親が兄嫁に対して裏で最低発言をしていた事が強く記憶に残っていたからかもしれません。


男尊女卑の激しい最低な考えの人間です。

(その後兄には男の子が生まれ、父は義姉に頭が上がらないはず。いや、そんな発言すら覚えてないはず。)


でも、惨めな気持ちだったことは本当だし、少なからず「孫がみたい」と思う気持ちはどんな親でも思ってるだろうし。夫は長男だし。


義母は若くして夫を産んでるので、もしかしたら言わないだけで、「もっと若い奥さんだったら良かったのに」って思ってるかもしれない。ネガティブは止まりませんでした。


そもそも、子供好きな訳でもない私が妊活を頑張ってるのは、孫を可愛がってる義親の姿を見て、夫の孫を抱かせてやりたいという気持ちが原動力でしたので、なんか余計に。


そしてその闇の気持ちを、夫には吐き出せずに一人で抱えました。


普段は夫には思ったことを何でも言うし、いつも怒りまくってる私ですが、夫は自分の家族が大好きなので、その家族のことについてのことはデリケートで、さすがに言えませんでした。


鬱々と過ごす日々。

気がつけば円形脱毛が出来ていて、また落ち込みました。


落ちる所まで落ちて、1月末頃でしょうか。


私おかしい、壊れると思って不妊クリニックのカウンセリングとかも利用させてもらいましたが、話を聞いてはもらえても、解決するわけじゃない。



このままじゃヤバい、自分で何とかしないと!と、やっと我に返りました。このままでは本格的にうつ病になってしまうと思い、無理やり気持ちを切り替えなければ自分が辛いだけだとハッとしたんですね。


そこから、「そもそも私は子供が欲しいのか?」から考え直し、「いや、絶対欲しい訳じゃない。親のことなんか知るか!!出来なきゃ出来ないでいい!」と切り替えました。


あとあと後悔しないように、やるだけのことはやろう。でも今年で終わりにして、あとは自分勝手に生きようと1人で決意して吹っ切れました。それがとても楽になりました。


その後も2回目の移植、また初めから採卵〜移植と進みましたが、2回目ともなれば最初ほど辛くなかったし、陰性でも落ち込まなくなったし、決意の通り「出来なくてもいいし」って気持ちでいたので、肩の力は抜けてました。


結果的にそれも良かったのと、鍼治療などの体質改善も頑張ったので、受精卵の数やグレードもアップすることが出来、無事に今に至ります。


落ち込んで、円形にハゲて、這い上がって、やっと結果に繋がりましたが、やっぱりあの頃の事はきつかったなぁと今でも思います。


誰に何を言われた訳でもなく、全て自分の思い込みですけどね。


治療中の人は多かれ少なかれ皆いろんなことを乗り越えながら頑張ってる。明るくしてても、一人で泣いてる事も絶対ある。だから心からエールを送りたいです。


ちなみに、義弟とはその後も色々誤解が重なってて気まずいまま。私はいわゆる「不妊様」の存在から、妊娠した今も腫れ物扱いな感じです。笑


また私の考え過ぎかもしれませんが…泣き笑い