水俣湾について想うこと★その11 ~ 水俣湾の埋め立て | ふるふワールド

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チッソ工場は1932年(昭和7)から1968年(昭和43)までの36年もの間、有機水銀を含んだ排水を流し続けた。水俣湾に溜まった水銀の量は70~150トン、またはそれ以上ともいわれ、水銀を含んだ大量のヘドロが海底にたまり、水銀に汚染された魚がいた。

 

熊本県は1974年(昭和49)に水俣湾内から汚染された魚が出て行かないように仕切網を設置して、汚染された魚の除去作業を始めた。1997年(平成9)に仕切網を取り払うまでの23年間に487トンもの魚をとって処分した。同97年に「水俣湾の安全宣言」を行って仕切り網を全て撤去。

仕切り網の中で捕獲された規制値以上(メチル水銀0.3ppm)の汚染魚は、セメントで固めて2500本以上のドラム缶に詰められ、現在水俣市資料館駐車場となっている地下に埋められいる。

 

また、1977年から水俣湾の海底にたまった水銀を含んだヘドロを除去するために、カッターレスポンプ浚渫船で総水銀25ppm以上の水銀を含んだヘドロを吸い上げて護岸内に埋め立てた(大きい掃除機で吸い上げるイメージ)。埋立区域を鋼矢板セルで囲んで護岸を造り、親水護岸の内側に封じこめて埋め立てる工事を行い、14年の期間と485億円をかけて、1990年(平成2)に工事は終了。東京ドーム13.5個分の広い埋立地が完成。現在はエコパーク水俣(水俣市広域公園)になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

浚渫※(しゅんせつ)海域の汚泥は、汚泥のまき上げを極力防止するため、カッターレスポンプ船で海水と共に浚渫して埋立地に入れて汚泥を沈降させ、多量の海水は余水処理を行って工事水域(護岸工事内)に再び放流した。

汚泥を入れ終わった埋立地は、汚泥とシラスとを区別するための布製のシートを張り、網状のロープで押さえ、シラスを水と共に厚さ80cmに撒きだす表面処理を行った後、山土で厚さ1m以上覆土して、汚泥は封じ込められた。

(※浚渫⇒川底の土砂やヘドロを取り除くこと)

 

平たくいうと、水銀汚染がひどすぎてどうにもならない水俣湾を埋め立てて、特殊加工した火山灰で汚染土壌をシールドして、山土をかぶせたということ。

 

 

▼護岸工事で既存の護岸との接点部分は概ね鋼矢板セル式で築造された。

 

 

 

カッターレスポンプ浚渫船

土砂吸入管を海底に設置させ水底土砂を水ジェットで掘削し浚渫ポンプで吸い上げる浚渫船。本船は、ラダー先端より噴射するジェット水で海底土砂を切り崩す方式を採用しており、残存機雷水域でも安全な浚渫が可能である。また、通常のカッタ装置への取り替えも容易である。

 

 

 

 

埋め立て・海について

 

 

Q1 きれいな海に戻るまで、どれくらい時間がかかったのですか、また、現在漁師さん達は、どんな活動をされているのですか?

A1 仕切り網設置から撤去まで23年の年月がかかりました。

また、現在、漁師さんたちは、マダイ、ヒラメ、クルマエビ、カサゴなどの稚魚の放流、海底の清掃・耕耘、産卵場や稚魚の育成場となる「海草の森」の造成など、漁獲資源を増やすための活動を行っています。

 

Q2 現在の水俣湾の様子 水俣の現在の漁業の様子、また、魚の状況。 水俣の人は今は安心して魚を食べているのか

A2 現在、水俣湾で捕れる魚の平均水銀値は、国の定めた暫定基準(総水銀0,4ppm、メチル水銀0, 3ppm)を下回っています。1997年7月には、熊本県知事が安全宣言を行い操業が開始されており、 その後も水銀の調査は続けられ、安全であることが確認されています。 

また、サンゴの生息が確認され、きれいな海になっていますが。魚がたくさん獲れた豊穣の海には戻りません。一度壊れた自然を取り戻すことはとても難しいのです。

 

Q3 埋め立てられたヘドロは今後大丈夫なのか。

A3 熊本県の水俣湾埋立地護岸等の検討委員会では、現在のところ問題はないとされていますが、護岸に使用された鋼矢板セルの耐用年数、大地震時の液状化現象や護岸の崩壊など課題はあります

 

 

 

『水俣、地下に眠る水銀 埋め立て地、液状化など懸念』

(2017年朝日新聞より)

 

水俣病のような被害を二度と起こさない決意が込められた「水俣条約」(国際的水銀規制)が発効し、水銀が世界的に規制されることになった。ただ、条約名に冠された熊本県水俣市には、かつて垂れ流された水銀が今も埋められたままだ。

不知火海に面した広大な埋め立て地に芝生の広場やバラ園、テニスコートなどが並ぶ水俣市の公園「エコパーク水俣」。

 

見た目はフツーの公園だが、この下には大量の有機水銀が今も眠っている

(※地中にある大量水銀の上にきれいな公園でフタをしてみました、ということ)

 

埋め立て地は、水俣病の原因企業チッソが長年水銀を含む排水を流してきた水俣湾の奥部にあたる。水銀値の高い汚泥がたまったエリアを鋼板で囲って海と仕切り、そこに水銀値が比較的低い沖合の汚泥を浚渫(しゅんせつ)して埋め立て、さらに、汚染されていない山の土で覆った。全体で約58ヘクタール。1982~85年に鋼板を設け、90年に埋め立てが完成した。

 

鋼板の耐用年数は約50年とされていた。熊本県は、腐食の進行が想定より遅いとして少なくとも2050年ごろまで性能を維持できるとしているが、その後の方針は決まっていない。

(※元々は海だった土地で塩分濃度も高いため、鋼板の腐食も早いと思われる)

 

元国立水俣病総合研究センター国際・総合研究部長で、今も水俣で水銀の研究を続ける赤木洋勝さん(75)は、地震で埋め立て地が液状化し、水銀を含む水が地表に噴き出すことを懸念する。「水銀を集めて囲っただけの場所。汚染が残ったまま条約の地をアピールするのはちぐはぐだ」と話す。

 

熊本学園大の中地重晴教授(環境化学)は、750億円かければ、埋め立て地の水銀汚泥を掘り起こし浄化することができる、との試算を14年に発表した。鋼板や護岸はいずれ更新しなければならず、この先、大地震や大津波に襲われるかもしれない。「ずっと未来まで鋼板や護岸をつくり続けるのか。後世に大きな負の遺産を残したままでは、水俣病の教訓を生かすことにならない」と指摘する。

水俣条約12条は、水銀で汚染された場所を「汚染サイト」として特定し、リスクを評価して管理する努力を締約国に求めている。だが、埋め立て地について熊本県は「今も安全性を確認しながら管理しており、問題はない」、環境省も「既存の土壌汚染対策法で対応が可能だ」として、汚染サイトとすることに消極的だ。

 

チッソの廃棄物処分場跡、護岸役の市道にひび

 

http://teisitu.blog.jp/archives/555539.html