ときにセラピストも限界を感じることがある。

それは人の生と死、病。

ときにそれは、普段私自身が不思議な二つの声を聞いたりしているにもかかわらず、全く表面的なことは変えられないことがある。

父が昔、自分の母親(私にとっては祖母)を亡くしたとき、一週間前に夢を見ていたにも関わらず、助けられなかったことで嘆いていた、と母からきいたことがある。
いまならよくわかる。


表面的な事柄は変えられなくとも、その物事の質、はかえられるかもしれない。


私たちがそれをどう受け止めるか、関わるかは変えられるかもしれない。



私たちは誰かを変えることはできないし、ましてや代わってあげることもできない。
ただ、寄り添い、内側の声に耳を傾けるための時間やスペースを提供するくらいがせいぜい。


あたたかいティーと安全な場所。


人間にはそれが必要なのだと思う。


今日はちょっと呟きです。