最近本当に思うことがあります。

それは、練習は、努力は、嘘をつかないということ。

 

努力している人は、ぐんぐん力をつけて成長しているし

なんとなくやっている人は、「なんとなく」にとどまっています。

 

「マテ」ひとつとっても

1分待てる犬もいれば、5秒ともたない犬もいます。

音や匂いなど、ちょっとの刺激で騒ぐ犬もいます。

 

そんな中でも落ち着いていられるのは訓練のたまものです。


 

  ◯自分でできる、は稀なこと

 

 

こんどっぐでの訓練は、

預かりの他、練習会や競技会の参加を促すことや、

配信等でより細かなアドバイスを行う「塾」などを行っています。

 

なぜいろいろな方法を飼い主に促すのか。

 

それは、

犬と一緒に生活する飼い主が知識とスキルを身につけないと意味がないこと、

そしてその知識やスキルは一人ではなかなか身につきにくいという理由からです。

 

時間をかけて通ったり、訓練にお金をかけたり、

わざわざ競技会に出場しなくても、

自分で、自宅で、できることは確かにあります。

 

正直、やれることは無数にあります。

 

愚直にそれをできる人もいます。

 

「自分でできるので大丈夫です」という方は一定数います。

でも実際は、「自分でできる」って稀なことだと思います。

 

忙しいから今日はやめよう、

今日やらなくても困らないかな、

遊びに行きたいから明日にしよう、…など

やらない理由も誘惑も、生活の中にたくさん転がってるんですよね。

 

これは誰もがこれまでに、何度も経験してきたことだと思うんです。

 

その結果、なんらかの手段を使って練習し続けた人と

思うほど練習に取り組めなかった人ととの間に

いつの間にか差ができていくんです。


 

 

  ◯悔しさに向き合えるか

 

 

あんまりできなかった、思う結果が出なかった。

そういうことはよくあることです。

 

大事なのは、その時に「悔しいと思えるか、思えないか」だと思います。

 

悔しい気持ちを自分で認めて、それをバネにできる人は伸びます。

 

でも大抵は「悔しいけどそのままフェードアウト」してしまいます。

これは大人になればなるほど顕著です。

 

悔しいはずなのに、そこに向き合わず

「なんかもういいかな」と、諦めちゃう。

 

悔しいって、辛いし苦しいです。

できれば味わいたくない。

 

でも、これを超えないと、今以上のものは手に入らないんです。

 

楽しくて、ラクなことは、次のステージを進んでいく武器にはならないんです。

 

子どもの頃、ぐんぐん成長するのは

悔しさに対してがむしゃらに立ち向かうからではないでしょうか。

 

大泣きしながら「悔しい」と思う、

だからなり振り構わず立ち向かっていく、

あの子どもの頃の気持ちこそが

今の位置からもう一段階成長する原動力だと思うんです。



 

 

  ◯タープの中の変化〜お通夜からハイタッチへ

 

 

この悔しさは、一緒に訓練をしている仲間の影響も大きいと思います。

 

一人で練習するのではなく、

みんなで練習してるからこそ続くことがあるんです。

 

コミュニティの中に、頑張れる人がいれば、それに引っ張られます。

悔しさを共有し、励まし合うこともできます。

自分も負けてられるかと奮起することもあります。

 

最初はよく「諦めてた」けれど、努力する人の姿を見て

「自分ももっとやらなきゃ」と思うようになったという飼い主もいます。

 

そうやって奮起して、続けていった先に、

叱る・褒めるタイミングが分かるようになったり、

落ち着いてマテできるようになったり、

犬との信頼関係ができてくることを

努力を続けてきた飼い主の存在が証明しています。

 

その努力をお互い見てきたからこそ、

飼い主同士で大変さも嬉しさも共有できるようになるんだと思います。

 

ちなみに、それを最も感じるのは競技会での変化。

待機中のタープ様子です。

 

自分たち「こんどっぐ」のタープは、そこだけすっごく楽しそうなんです。

 

出場して戻ってきたら、ハグしてハイタッチ。

「脱走しなかった」だけでも讃えあって大盛り上がり。

 

それはその人の努力も苦労も知っているからです。

 

自分の出番以外、興味が薄かった去年。

他の犬の競技の様子もしっかり見ている今年。

 

チームになってる、と感じました。

 

努力をする。

 

それは、悔しさと向き合い成長する自分と、

その努力を見て、支えてくれる存在に出会えるという、

かけがえのないものを得る機会になる、そう思います。