犬に癒やしを求めて、飼い始める方は多いと思います

 

仕事の疲れ、人間関係のイライラ、気分的な落ち込み、そのような人の心の中にある、靄(もや)を犬を飼うことで晴らしたい気持ちは理解できます。

 

しかし、そのために犬が病んでいる事実を私は見逃すことは出来ません。


 

 

  ◯セラピーの一環として勧める人はいるけれど

 

最近では「セラピー犬」という存在が知られるようになりました。

 

その影響なのか、ひどく落ち込んでいる、心の病気にかかっている、そのような人に犬を飼うことを勧める人が増えたように思います。

 

これは一般の方だけではなく、お医者さんにもその傾向があることを私は危惧しています。

 

精神の病の治療のために、「犬を飼え」というお医者さんが存在するのです。

 

しかし、安易に飼えと言われても、世話やしつけはどうするのでしょうか。

 

私のところに来るお客さんの中にも、「心の疲れを癒やすために」「医者に勧められて」犬を飼い始め、結局困ってしつけの相談に来る人が、跡を絶ちません。

 

そもそもセラピー犬は、しっかりとトレーニングをされた犬が、専門知識のある方の元で、適切に人と犬がふれあえるように配慮されているはずです。

 

家の中で一般の人が犬を飼うことと、状況は全く異なるのです。


 

 

  ◯犬が病んでいく

 

飼い主が癒やしを求めて、いつでもふれ合おうとする状況は、犬にとっては、休みたくても、夜中でも、飼い主の都合でさわられるということ。

 

そして、飼い主が心地よければ良いほど、無自覚に犬に依存していきます。

 

当然ですが、犬はだんだんこの状況が負担になっていきます。

それが「噛む」という行為へと繋がります。「嫌だ!」という犬の心の声です。

 

こうして「なぜか、犬が噛み始めた」と相談に来る方のなんと多いことか!

 

さらに、ストレスで犬が病むことも多いのです。

 

例えば、もし身近な人に、心を病んだ人がいたら、おそらく親身になって話を聞いたりお世話をしたりすると思います。

 

しかしその分、誰かにアドバイスをもらったり、時には気分転換をしたり、切り替えて仕事や趣味に没頭したり、様々な方法でバランスを取り、様々な方法でほかの世界とつながりを持ち続けるはずです。

 

しかし、犬には、「自分自身と飼い主」しか世界がありません。

 

考えてみてください。

辛さを抱えた人とともに、世界が「わたしとあなた」しかない行き詰まり感を。


 

  ◯犬を飼うのか、犬を買うのか

 

もちろん、犬を飼うことでプラスに働く人もいます。

犬の存在がその人にとっての生きがいになることも、一緒に犬の生きがいを考えることを楽しめる人もいます。

 

ですが一方で、安易に癒やしのため、病気のためと犬を飼い、表情がどんどん暗くなっていく犬、心や体が病んでいく犬、そして「噛み犬」「問題犬」とレッテルを貼られる犬が存在するのです。

 

その多さに、「人間のために犬を飼う」ということに、犬の生涯はそれだけでいいのだろうかと考えざるを得ません。

 

なぜなら犬は生き物だからです。

気持ちがあり、命あるものです。

 

犬と出会って飼うと決めたのなら、その犬が「充実した生」を全うできるよう、飼い主として、その命、その生涯の重さを考えることは大切なことではないでしょうか。

 

このような話に、「犬の気持ち、犬の生涯まで考えなくてはならないのか」と思う方もいるかもしれません。

 

でもそれは、どこかに、

「所詮は犬じゃないか」

「お金を出して買ったのは自分だ」

「結局は買える命なのだ」

 

そのような、奢った気持ちや、犬を都合の良い道具としてみているような部分があるように感じ、とても辛く思います。

 

繰り返しますが、犬は生きているものです。

 

人間の一方的な都合で、犬に、自身の心の負担を背負わせないでほしい

 

疲れているから、病のためだからと、安易に飼うことを決め、犬が幸せに生きる権利を蔑ろにしないでほしい

 

犬を迎える前に、「都合の良い道具を買う意識」があなたのなかに存在してはいないか、「犬の生涯」も考えることができるか、どうか何度も、何度でも、問いかけてほしいと願っています。