飼い主さんにとって愛犬の存在は、「我が子」のようなものだと思います。

 

実際に、犬を飼っている人同士で犬の名前に「パパ」「ママ」をつけて、「タロウくんママ」「ハナちゃんパパ」と呼び合っていることも多いと思います。

 

さて、その「我が子」を、看取る覚悟はありますか?

 

  ◯2つの覚悟

 

そう尋ねるのは、私は犬を飼ううえで、2つの覚悟が必要だと感じるようになったからです。

 

1つめは、その子が充実した「犬生」を送れるよう、命を守り育てる覚悟

 

そして2つめが、自分より先に旅立つその子の命を、看取る覚悟です


 

元気に動き回る愛犬を目の前に、今から縁起でもない、と思う方は多いでしょう。

 

ですが、犬の寿命は10年から20年。

病気や不慮の事故でもっと早くに旅立つ子もいます。

 

飼い主と犬の「親子」の場合、かなりの確率で「親が我が子を見送る」ことになります。

 

犬を飼う上で、この事実を避けて通ることはできないのです。

 

 

  ◯最期まで面倒を見るということ

 

多くの方は犬を飼うときに「最期まで面倒を見られるか」を考えると思います。

 

しかしその言葉は、命の終わりを意識しているというよりも、飼い主自身の健康状態や、家族の都合、転勤や仕事、金銭的なことなど、飼い主自身の状況にのみ、意識が向いているように思います。

 

もちろん、これはこれで大事なことです。

 

でも、大きなことが抜け落ちているんです。

 

飼おうとしている犬は、自分より先に老いていき、時には介護が必要になるかもしれません。別れの瞬間も必ずやってきます。自分が看取らなくてはならないのです。

 

最期まで面倒を見る、それはその犬の老いも、最期も、見届けること

 

看取る覚悟も含めて、「最期まで面倒を見る」なのではないでしょうか

 

 

 

  ◯看取る覚悟

 

 

ではその「看取る覚悟」とは、なんなのでしょうか。

 

私が出した答えは、「寿命を受け入れる」こと。 

その上で「その子の『生』に向き合う」こと。

 

かなりの確率で、愛犬が自分より先に旅立つと自覚し、それがいつどんな最期であっても「それが寿命だ」と丸ごと受け入れよう、何かを否定しないようにしよう、と心に決める。

 

旅立ちを自覚することで、「終わりがあること」をどこかで意識することになります。

 

それが過度に愛犬の存在に依存しない、適切な関係性に繋がると思うのです。


 

そして、終わりがあると自覚するからこそ、我が子と向き合い、いまこの時のひとつひとつを大切にできるのではないでしょうか

 

弱ってきてから、ああすれば良かった、こうすれば良かったと思っても、時間は巻き戻せません。

 

いつか迎える旅立ちの時に、弱って辛そうな姿ばかりが記憶に残ってしまうのも悲しいことです。

 

それよりも、元気で楽しそうな姿、一生懸命頑張る姿をたくさん焼き付けてください。

 

いま元気なときに、たくさん一緒にいて、その子の成長のためにできることをしてあげてください。

 

向き合った分だけ、喜び、幸福感、充実感、感謝…、愛犬から目に見えない大切なものを受け取れると思います。

 

その毎日の積み重ねは、いつしか、後悔や悲しみの気持ちを超えるはずです。

 

一緒に過ごすことができた幸せと感謝の気持ちは、いつか訪れる旅立ちの時に、きっと、あなたと、あなたの大切な愛犬の心を優しく満たしてくれると思います。