認識の違いは、様々なときに感じるものです。

 

しつけに関しても、それはしばしば感じます。

 

今回は、最近話をした飼い主さんとの会話の例から、しつけに関する認識の違いや、危惧していることを述べたいと思います。

 

 

 

◯日本と海外のしつけの違い

 

 

「しつけ、しつけ、と言うけれど、海外ではもっと犬を自由にさせてるのに。」

「日本は遅れている。日本は厳しい。」

 

このような声はよく聞きます。

 

しかし、海外ではしつけに対する意識が違います

 

日本では「どうしてトレーナーが直してくれないの?」「トレーナーが必要なことをしつけてくれるんでしょ」と考える方、さらには「しつけなんてかわいそう」という方もいます。

 

一方、アメリカやイギリスでは、飼い主の責任において練習することが大前提です。

 

ですから、トレーナーは短期間の預かりはしても「あとは飼い主が自分でやらなきゃ意味がない」と突っぱねます。

 

飼い主は家庭内で何十回、何百回と練習を繰り返します。(今ではネットでその様子を見ることもできます。海外の訓練を見ると、日本とは飼い主の練習量が全く違うことに驚かれる方も多いです)

 

海外は圧倒的な飼い主による練習量が下地にあり、それはしつけの責任が飼い主にあると認識されているためです。

 

その上で、公園で犬を自由にしているのです。


 

 

◯カートに乗せて散歩をする飼い主

 

 

ペットカートの使い方も考えさせられる例です。

 

ペットカートはシニアで歩けなくなってしまった犬、足が不自由になってしまった犬などを、外に出すために活用できる道具です。

 

けれども最近では、健康で元気な犬を乗せて、「散歩」をしている方を見かけるようになりました。

 

中には、犬に華美な飾り付けや洋服を身に着けさせ、カートに乗せて散歩をし、「かわいい!」「映(ば)える!」と写真を撮る方もいます。

 

この場合、華やかな格好は、汚れると大変ですし活発に歩くには適さないので、カートは人間にとっては都合が良いのかもしれません。

 

でもそれは、犬にとってはただ外に出ているだけですよね。

 

犬にとってはかわいそうなことだと思いませんか。

 

自分の足で歩けない。ただ乗っかって移動しているだけです。

 

また、「この子は自分で歩くのをイヤがるから。」とおっしゃる方もいます。

 

でも最初に甘やかしたのは他でもない飼い主です。動きにくい服装を身に着けさせたのも飼い主です。

 

当然、自分の足で歩くための脚力はどんどん衰えていきます。そうなるとますます歩くのが億劫になります。

 

さらに、別の理由でカートを使う方もいます。

 

他の犬とのトラブルを避けるため、他の犬と接触しないようにカートを使うのだそうです。

 

これは極端な話、健康で元気な子どもに対して「飛び出しや暴れまわる危険があるから、外出時には車椅子やカートなどに乗せて移動する」ようなもの。

 

子どもを相手にそんな選択をするでしょうか?こちらのほうがかわいそうではないですか?

 

外に出る時は、子どもにルールや危険を教えますよね。手をつないで歩きますよね。

 

犬だって同じです。必要なのはルールを教えること。しつけです。


 

 

◯手軽で簡単か、時間と手間か

 

このような違いについて「自分の飼い方の何が悪いのか」と譲らない飼い主さんは一定数います。

 

しかしその結果、本来は回避できるはずのトラブルを抱えて、私のところに「何とかならないか」と相談にいらっしゃる方がいるのも事実です。

 

また、「相当ワルい犬だ」「手がつけられない」と、あちこち断られて私のところに辿り着く方もいます。

 

そして、ここが最後の砦だと言ってくださる方もいます。

 

でも、これまでたくさんの犬と接してきて思うことは、どの犬にも良い悪いはなく、「どんな飼い方をされてきたか、その飼い方がその犬を作っている」ということです。

 

最近は、何でも手軽で簡単、便利なものが溢れるようになりました。

 

その分、一つのことにじっくり向き合うことや、時間をかけ手間暇をかけることの大切さが、失われているように感じます。

 

犬についても、目の前にいる犬を根本から理解すること、何が本当に犬のためになるのかじっくり考えることなく、上辺だけの方法、単なる流行、ラクで簡単なものに多くの人が流れているような危機感を感じます。

 

向き合うからこそ、より深く強い結びつきができるはずです。

 

時間と手間がかかるから、そこに重みが生まれます。

 

どっしりとした信頼関係、安定感、安心感、自信。

 

これらは「手軽で楽チン」とは対極のところにあるのではないかと、出会った犬たちを通して私は思うのです。