2021年の夏は伊藤ちゃんに尽きたし、大晦日も迫ってる今、俺的に今年のMVPもまた伊藤ちゃんだ。

…って話をする前に、伊藤ちゃんとはどんな人物なのか? まず各ネット記事を引用しながらこの女性の破天荒かつドラマティックなヒストリーをおさらい。

(※文中のアルファベットは後記する引用元に対応)

 

伊藤麻希。

福岡のアイドルグループ LinQに所属していたが、個性的すぎて人気ナシ。

伊藤「アイドルなのに、そもそもファンがいなかった」「握手会やって、私の列に1日でどれぐらい並ぶと思います? 1人か2人ですよ!」(A) 「ソロパートですらコールなんて起こらなかった」(B) 「ライブ中も、観客とまったく目が合わない。つまり、誰も伊藤のことなんて見てないんです。」(C)

 

伊藤「幼稚園では明るい人気者でした。面白いことをして笑いを取るのが得意でした。」(B)

「伊藤は1995年7月22日、福岡県小郡市で生まれた。福岡市から電車で1時間ほどのベッドタウン。閉鎖的な町で、ミニスカートを履いているだけでいじめに遭った。「子供の頃から目立ちたがり屋で、メゾピアノとかエンジェルブルーとか、可愛いブランドの服をたくさん着てたんですよ。そしたら上級生から『なんなの、アイツ』みたいな感じで、よく目をつけられました。」」(D)

「小学校4年生頃から、頻繁に上級生からいじめを受けるようになりました。」「あまりにいじめが続くので、「もしかして、人と違うオーラが出ているせいでいじめられるんじゃないか」と考えるようになりました。そこで、普通じゃない人たちが集まるといえば芸能界だと思い、私のような普通じゃない人間は芸能人になった方がいいと思うようになったんです。

中学生になると、同級生からもいじめられるようになりました。学校が全く楽しくなくなり、不登校気味に。」(B)

「学校に馴染めないのは、「わたしが他の子とは違う、”何か”を持っているからだ!」って思ってたんですよ。」(E)

 

「高校在学中、アイドルのオーディションを受け始め、2011年7月に「LinQ」2期生としてグループに加入する。しかし人気は出ず、ライブにも出られない。引きこもりがちになり、朝起きられなくなってしまった。学校の単位もとれず、高校を中退した。「同期の子が人気になって、ソロパートとかを持つようになるなか、自分はなんにもなくて......。」」(D)

「AKB48のバラエティ番組を見ながら、「自分だったら、パイ投げでこんなリアクションが取れるのに」と想像することが楽しかった。「パイ投げがつまんなすぎて、これは私が出たほうがいいと思ったんですよ。」」

「しかし、すぐに壁にぶち当たることになる。アイドル界は、パイ投げで全力のリアクションをとったころで評価される世界ではなかったのだ……。「自分はただ面白さを提供しているだけなのに、なんで全力になるとファンが減るんでしょう? PV撮影のときも、自分が可愛く映るより、歌のメッセージを伝えるほうが優先だと思って、表情を崩してまで伝えるのがポリシーだったんですけど、それもよくなかったみたいで。全力でも報われないんだなと感じました」」(F)

「「伊藤は早くやめたほうがいい」って、運営サイドから言われてたみたいで。」「どうしても、アイドルの枠からはみでちゃうから。」(E)

 

純アイドル時代の伊藤ちゃん

 

「彼女が人生初の声援を浴びた場所は、両国国技館だった。プロレス団体DDTのビッグマッチに、“公認凶器”として参加したのである。2013年8月のことだ。

「アップアップガールズ(仮)」や「しず風&絆~KIZUNA~」、新田恵利といったアイドルたちが任意の武器を手に取り、応援する選手と共に闘う“アイドルランバージャック”なる、DDTらしいユニークな試合形式。福岡を拠点とする「LinQ」の一員としてこの試合に参加した伊藤麻希は、終始DDT代表の高木三四郎を狙い続け、強烈な頭突きを連発する。」

「他のアイドルたちの存在はもちろん、勝敗をも無視するかのように場内を駆け巡る彼女の姿に、観客は熱狂した。この大会で、もっとも印象に残るシーンだったと言っても異論は少ないだろう。

筆者のようにアイドル事情に疎いプロレスファンなら、誰もが思ったはずだ。この人こそ、「LinQ」の中心メンバーに違いないと。

しかし、それは事実とはまったくかけ離れた誤解だった。」(C)

伊藤「歌もダンスも苦手だった私はセンターはおろか、後ろの方で踊っているだけ。お客さんにも全く注目してもらえず、楽しくはなかったですね。

それでも1年ほど活動を続けた高校3年生のとき、私が所属していたアイドルグループがDDTプロレスリングの両国国技館戦に参戦することになりました。そこで初めて、8千人を超える観客の前でステージに立つ経験をしました。

それまでは数百人、大きくても千人規模の会場しか経験していなかったので、すごく興奮しましたね。私を知らないお客さんがほとんどの中、どれだけ自分の魅力で盛り上げることができるのだろうかとワクワクしました。

大勢の観客を前にして、何か会場が湧き上がるようなことをしてみたくなり、DDTの社長のところへ走っていってヘッドバットを一発かましてしまいました。

その瞬間、会場がワーッと大盛り上がりしたんですね。私を知ってる人なんていないはずなのに、伊藤コールが巻き起こったんです。それがもう、うれしくてたまらなかったですね。」

「試合後、DDTの社長が「お前はプロレスに向いてる」と言ってくれました。アイドルとしては全く目立つことができなかった私を、初めて認めてもらえたような気持ちになりました。」

「試合後は地元へ戻り、アイドル活動を続けました。でも、全然楽しくなかったんです。」(B)

「逆にアイドルの活動に「あの感覚がない!」って思うようになっちゃった。」「自分を殺してるような感覚だったんですよ。「この道でアイドルとしてずっと生きていかないといけないんだ」って1人で絶望してました。」

「「2014年5月だったかな。うつ病になって、アイドル活動を休止したんですよ。もう生きる死ぬのことしか考えられなくなって、7月までに死んでやろうって計画立てて。でも7月にどうしても断っちゃいけない仕事が入って、生きざるをえなくなりました」 死を2カ月先延ばしにしたことをきっかけに、彼女は回復する。」(F)

「正式なプロレスデビューを果たすのは2016年12月のこと。両国国技館での体験から、約3年のブランクがあった。

伊藤:(プロデビューしなかったのは)単純に勇気がなかったってのが本音だけど、このまま福岡でアイドルやってても、誰も活かしてくれないって想いが、年々高まっていたのもありますね。」(C)

 

2013年8月13日両国国技館、プロレス界初登場時の伊藤ちゃん。

プロレスラー兼社長の高木に中指を立て頭突きを食らわす。

 

2013年11月17日後楽園ホール、伊藤ちゃんと揉める高木社長(笑)

 

高木がDDTの女子部門という感じで作った団体・東京女子プロレスに入った伊藤ちゃんのデビュー戦はvs山下実優。山下は東京女子のエースであり、「空手経験者であり、護身術の流派で全日本3位の実績を持つ」(Wikiより)

伊藤「山下実優は強いです。でも私は彼女が歩んでこなかった人生を歩んでいるから、その点で自信はあったんですよ。彼女が見せられないものを自分は見せられると思っていた。」「私には山下実優が歩んでこなかった人生という武器があったから、わりと怖くはなかったんですよね」(D)

 

伊藤「苦手なことに一生懸命向き合って、努力で乗り越えようと思った時期もあるんです。けど、苦手なことはいくらやったってダメだった。今は嫌なものからは逃げてもいいんだって思ってます。そのかわりに、何か自分の得意なことや好きなことだけは絶対に手放さないことに決めました。」(E)

「「プロレスってケガのリスクもつきものだし、アイドルでニコニコやってるだけのほうが長生きはできたのかもしれない。でも、自分的にはそれだけじゃつまらないっていうか。飽きてたんで、アイドルには」「同じ歌詞で同じ振付けで同じフォーメーションで、代り映えがない。自分の人気もなかったから、誰も見てねえし、みたいな。ファンと目が合わないし、みたいな。なんでここにいるのかなって思いながら歌ってました。歌いながら、昼ご飯のこととか考えてましたね」

そんな彼女にとって、プロレスは刺激的だった。毎試合、緊張する。試合をする度に、客席のハードルが上がっていく気がする。その期待に応える伊藤麻希でいなければいけないと思うと、昼飯のことを考える暇はなかった。」(D)

 

誰に対しても中指を突き立て、実力的には弱くともクレイジーなキャラがウケる伊藤ちゃんは人気者であり、山下らと並ぶ東京女子の顔となってゆく。

 

『ドラマティックオブザイヤー2021は伊藤ちゃんっしょ! ②』に続く。