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イメージ 2『M:I‐2』
一般的にはなぜコレが!?と思われるだろうが、以前特集した通りだよ。
流れるようにドラマティック。ロマンティシズムが疾走。
物語だのシナリオだのといった過去の遺物・呪縛からの解脱。映画は映像であるという単純で当たり前の事実。お話じゃない。もう情感だけのドラマティックムービー。124分間、お話ではなく画を、エモーションを、鑑賞する。エモーションはシナリオからは出ない。言葉じゃないから。
これはある意味での映画の傑作だよ。ストーリーに拠らない、エモーションの映画化。絵画や写真と並ぶ、芸術。
そういう意味ではロマンティシズムとセンチメンタリズム溢れるアクション映画『狼 男たちの挽歌 最終章』も素晴らしいんだけど、1本に絞るならより洗練された『M:I‐2』ってことで。



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イメージ 4『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』(以下『BD』)
学園祭前日・夏休み・ギャグ…学生時代の楽しさが詰まってて、いや実際現実の学生時代はこんな楽しくなかったのだが、あの頃が甦って(と錯覚させて)すっげェ楽しい!
それでいて唸る観念的哲学的テーマがある。
さらに観終わった後の現実にまで波及する衝撃的なフィクション。いや現実か!?
大多数の人間が盲信している現実を巧妙な論理の果てに崩壊してみせて、人間が知覚しうる世界が実は限られた狭い範囲である事を認識させ、常識という心の壁を打ち砕く。
現実は意識が規定している。意識によって現実は変容する。ある意味爽快であり、ある意味恐怖であり。
哲学を擁した驚くべきエンタテインメント。
押井守監督は傑作が多いが、映像的にもテーマ的にも高度な映画として『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』を挙げたかったんだけど、同じく哲学的でありながら より映画的であるこちらを挙げよう。
『攻殻』の方が洗練されてはいるんだよ。でも『BD』の 例えば前半の夜の街の底知れない雰囲気や後半のスケール感溢れる街の大破壊など、これは劇場で観たかった!っていう、そういう点で『BD』の方がより映画的と言えなくもない。



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イメージ 6『男たちの挽歌』
鬼気迫るというか何かが宿ってるような映画がある。これもテレビドラマにはなかなかないんじゃない? というわけで『男たちの挽歌』を挙げたい。
『デモンズ』の何かが宿ってる感とはまた別で。こっちは人間の情念が宿ってるというかね。このタイプの作品だと他に『GONIN』 『狼 男たちの挽歌 最終章』 『ブラックレイン』 『さよなら銀河鉄道999』とかあるんだけど、『男たちの挽歌』は情感炸裂指数が100超え! 人間のプライドと怒りが炸裂! もうとんでもないっつーか。あまりにもドラマティック。
そしてそれがアクション(&音楽)と相乗して爆発的なアツい興奮を呼ぶ。非常に映画的である。
ところで、今回の映画ベストのチョイスにアクション映画が多いのは当然の帰結で、アクションはテレビドラマにはなくて映画にはある迫力や体感という要素にジャストミートだからだ。
映画に一番不向きなのは恋愛ものとか、よくいる普通の人の他愛ない人生模様みたいなお話だろう。そういうのはテレビドラマで事足りる。
お話が映画足り得るのは、1つには『ブラックレイン』のようにドラマが映像によっても演出されてる作品。あれは哀しみが映像で表現されていて映画的であり、テレビドラマにはない映画特有なアドバンテージだ。
もう1つはストレートに物語に爆発力がある作品。これがまさに『男たちの挽歌』なのだ。感情の高ぶり=感情のアクションがそのまま物理的アクションに直結する。音楽がまたそれを素晴らしく援護射撃。人間の魂が炸裂する傑作!



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イメージ 8『魔法少女まどか☆マギカ 前編 はじまりの物語』&『同 後編 永遠の物語』
これは映像的にどうこうではなく一般的にスタンダードな映画鑑賞、つまりいい物語を観たなぁ!という王道の映画というかね、俺に言わせりゃビジュアル的に素晴らしいのが王道なんだけど、一般的には物語的にえぇモン観たわ!ってのが王道なんだろう? あとスケール感ね。テレビドラマ・テレビアニメの劇場版は絶対テレビよりスケールデカい話になる。映画とはデラックスなものだっていう思い込みというか思い入れというか?
…それはそれでわかるんだよ。ワクワクして映画館に観に行く感覚。何か大きなものを期待して観に行く観方。あと映画に感動を求めるとか。そういうのも1本入れとこうか。
そっち方面で言うと皆は例えば(80年代の)スピルバーグとか挙げるんだろうか?
でも俺的には…
『エイリアン2』(スリルと感動! あれは極上エンタメ!)とか
『ロッキー4』(スタローンとラングレンの肉体美、人間のフィジカル面からの哲学、編集と音楽が素晴らしく、人間のネクストレベルへ! クライマックスは劇場が特別リングサイド! そのうえ世界平和まで実現という超興奮・超感動の映画!)とか
『フェイス/オフ』(波乱万丈の物語・観てて心が浄化されてく展開・超絶アクション・音楽もいい)とか
『銀河鉄道999』(宇宙。ロマン。情熱。素晴らしい人間賛歌。雰囲気も音楽も素晴らしい)を挙げたい気持ちもあるんだけど、
あと、迫力・スケール・感動的etc.と ある意味映画の王道といえるマイケル・ベイの作品が1本も挙がってないのもおかしいのだが、
観客のハートをアグレッシブに揺さぶりまくる衝撃的かつ重厚そして激アツな人間ドラマから最後は特大クライマックスに到達し聖書に匹敵する物語となった、映画史上屈指のドラマティックストーリー、脚本も整合性取れててほぼ隙がない まどマギを挙げたい。
えぇ話やな…っていう映画は時々あるのだけど、映画史に残るぐらいの物語というとそうそうない。
この映画は5年10年じゃない、50年とか100年以上生き残るよ。そのぐらい物語が素晴らしい。21世紀に創り出された神話というか。
宗教(キリスト教とかイスラム教とか…etc.)の信者が多い国で陰惨な事件や内戦などが続いてるのに対し、無宗教が多い日本の方が遥かに平和とか節度があるわけだろう? 宗教で人間は高まらないことを示している。
そんなメイドインジャパンの傑作。
良い映画は人生のバイブルや教科書足り得る。



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イメージ 10『28 1/2 妄想の巨人』
映画を1段階更新した作品。ある意味遂に映画はここまできたか、という。押井は“虚構と現実”というテーゼを取り上げ続けてきた。夢と現実(『BD』)→テクノロジーで作られた虚構(ヴァーチャルゲーム)と現実(『アヴァロン』)→そうして本作では舞台準備中の現場に寄生して映画を撮ったことにより夢やヴァーチャルゲームといったコンセプトを用いなくとも二重世界を実現した!
用いないことによって、より虚構と現実の、映画と現実の境界線が曖昧になった。
そういうわけで本作は映画史的に重大な1本なんである。
映画は映画館のデカいスクリーンで観て、映像と音響で疑似体感し鑑賞するもの。(さらにその最上級が今ンとこ4DX及びMX4Dなんだろう(4Dとは映画のシーンに合わせてシートがダイナミックに動くのみならず風・ミスト・エアー・煙・香りなどで3D(立体映像)の上をいく体感の映画鑑賞。…らしい。俺は未経験なのだ。シートが動くのと風も吹いたかな、そのぐらいのアトラクション上映なら体験したことあるんだけど)。
それが本作では「映画と現実の境界線が曖昧になった」ことにより、…前のめりに言っちゃうと、映画より上の体感ってなんだ? それは現実に他ならない。
まぁ、現実にない世界やドラマを疑似体験できるのが映画だという線からいくと映画は映画で在り続けてるんだけどさ。それはちょっと置いといて、何をもってしてリアルと感じるか、というか…これまでは映画は映画、現実は現実とはっきり分かれてたのが、本作では両者がリンクしてくるというか混ざり合ってくるんである。



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イメージ 12『エイリアン2』
単独では挙がってないが、ここまでで度々タイトルが出てきていた『エイリアン2』。
それだけ良い要素を複数兼ね備えているのなら、それって傑作じゃないの? 単独推しすべきじゃないの? というわけでこれも挙げよう! だいたいオールタイムベストでコレが入ってないのはどうしても納得いかねェんだよな。
他所の惑星でエイリアンと接近戦という完全フィクション話でありながら、セットや小道具の工業系デザイン、まったくの架空でなく現実をベースにした銃器や装備のデザインがリアリズムを孕み、CGではなくSFXであることで質感・空気感を有し、映像にはリドリー・スコット(←『ブレードランナー』の監督)には及ばずとも空間性もあるし、そのうえ閉塞空間の悪夢的体験、スリリング、恐怖、怒涛のアクション、エキサイティング! さらに感動まで完備! いまだに繰り返し鑑賞に余裕で耐え続けるケチのつけようがない総合力の高い作品。
(個人的には長くなった完全版ではなく、ランニングタイム抑え気味で無駄なく突っ走る劇場公開版の方が良いと思う。)



俺は小学生の頃にジャッキーの『スネ―キーモンキー蛇拳』を観てから映画にハマりだした。アクション映画から入った=物語で観る見方から入らなかったんで、たまたま物語に拠らない観方を子供の頃から身につけることが出来た。後に知るがそれは映画の本質だった。
そして『BD』で押井を知り、その後押井(のインタビューだったり本だったり)から映画というものについてかなり知ることができたのも大きい。
中学生の頃からは悪趣味B級映画にもハマりはじめ、B級映画なんてシナリオに重点など置いてないから、あの首のもげ方が絶妙だなとか(笑) バイオレンスが凄いとかスプラッターが派手でナイスとか、ここでもやはり物語では観てない。
あとアクションがまったくなくても、雰囲気が好きだなーとか映像美が素晴らしいとか、そういう感覚で映画を観る美味しさに気づいたのもこの頃だね。その頃からタルコフスキー観てたもん。
そのうち世間とズレが生じてくるワケ。なんか皆ストーリーで映画観てるぞ!? 脚本が駄目だからこの映画駄目だとかつまんねェこと言ってるぞ? 映画観に来て一体どこを観てるんだ? と。
すでに10年前の、2回目にアップしたエントリで言ってるけど、『ターミネーター3』をつまんないっつってる奴がいて、俺的には前半のチェイスシーンとか凄ェじゃん、後半のシュワルツェネッガーが棺桶担いでガトリング砲撃つ場面とかビジュアル的にシビれるじゃんと思うんで、世間が言うほどつまらない映画とは思わないわけよ。
…どうも世間はお話で映画を見ている=テレビドラマを見る延長で映画を見ている。←「見ている」であって「観ている」ではない。「鑑賞」してない。テレビを見るのを鑑賞とは普通言わない。映画は映画鑑賞という言葉も存在するように、鑑賞するものだ。
映画とテレビドラマは何が違うのか、「映画鑑賞」とは何か、ということを考えるようになったし、映画が他の手法と違って抜きん出てる点についても考えるようになった。
そうして選りすぐったのがこの14本だ。小学生の頃から映画を観始めて、中年になって、これが俺が叩き出した答えだ。
これからも生きてる限りはこの映画という人間が創り出した素晴らしいものについてダベり続けたいと思う。
日本語を喋るには脳内に日本語のニューロンが要る。日本人だから子供の頃に形成済みなわけだけど。英語を覚え始めて、英語で話せるようになったならその人の中に英語のニューロンが形成されたってわけだ。映画の観方もそう。物語で観る観方に拘ってるうちは、その観方から抜け出せない。それ以外の観方をするには、それ以外のニューロンが要る。
物語で観るというのは映画の観方のあくまで1つに過ぎず、本質ではない。
1つしかものの見方を有してないというのは不幸なことだ。もっといえば恥ずかしいことでもある。
いろんな映画の観方を身につけていれば、映画鑑賞はとても楽しいものになる。テレビドラマを見るのとはまったく別物であることがわかる。