キン・フーという監督が撮った『侠女 A Touch of Zen』という映画。1960年代に撮影され、上・下集あり、上集は70年、下集は71年に公開された、古い作品。
子供の頃秋田書店の『ドラゴン大全集』で紹介されてるのを見て、観たいと思ってて…あれ、載ってたっけ? 載ってたのは『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿(原題:『龍門客棧』)』(←キン・フーが『侠女』の前に撮った作品)だけだったか?
『侠女』も『龍門客棧』も武侠映画っていう、クンフー映画より前の剣劇っていうかね、剣で戦うアクション。欧米の剣モノとも日本の時代劇とも違う、アクロバティックなんだよね、というか元はシンプルな段取りだった剣劇をキン・フーがアグレッシブにしたのか? で、おそらくここからクンフー映画に連なってくんだと思うけど。(素手で戦う場面もあって、これなんかはかなりクンフー状態。) まぁ古い話は知らない。
キン・フーの武侠アクションの特徴は、トランポリンと編集。
まだワイヤーアクションが出てくる前で、人間離れした跳躍はトランポリンと編集テクニックで実現している。
ワイヤーアクションって90年代からブームになったんだっけ? あれが俺は好きじゃなくてね。
最初はド肝抜かれたんだよ、80年代のジャッキー・チェンの『ヤングマスター』とか『ドラゴンロード』で蹴られて5~6メーター吹っ飛ぶみたいな、ワイヤーで引っ張ってさ、あの無骨な使い方は最高だった(笑)。
でも90年代から使い方が良く言えば洗練されて、悪く言えば無重力状態で、その不自然さが気持ち悪いというか。普通飛んだら落下するだろう? その飛翔感に加え落下の重力感、この重力感がポイントなんだけど、人を安全に降ろすからスッと制御された着地で、重さのない不自然な降下が俺的にはどうにも心地悪くてね。
キン・フー映画はトランポリンで実際に人が飛んでるうえ、編集に特徴がある。本作でモンタージュ理論応用から全世界初の編集テクニックを生み出して、カンヌ映画祭で高等映画技術委員会大賞を授与されている。
『侠女』は昔買ったDVD今でも持ってるし、『キン・フー武侠電影作法』って本も持ってる。
この本はかなりブ厚く、紙質も良く、ズッシリ重くて、寝ながら読むとかできない(苦笑)。
キン・フーに長時間インタビューした本気な力作で、もう生い立ちから聞いていってるからね、キン・フーをマジで徹底的に記録しようと臨んでる。
その流転な人生模様や様々な(様々すぎる)人間関係がすごい。どんだけな人生だよ!っていう。
もちろん製作上の話もここぞとばかりにたくさん聞きまくってる。貴重な当時の写真も結構豊富に掲載されてて。
さらにキン・フー映画のヒロイン徐楓(現在シュー・フォンと表記されてるが俺が昔見たのはシー・フン表記だった。本書でもカタカナではシー・フンと書いてる。おそらくシー・フンの方が正しいのではないか?)のインタビューまで掲載している至れり尽くせりっぷり。
この徐楓って人がカッコよすぎる!
イメージ 1
これだぜ? 一発で目を奪われる。
そして写真だけでなく、映画の中で動いてる徐楓もこのまんま。カッコいい。
もうツラ構えがいい! 単に美人とかカワイイってレベルじゃない、眼力があるって言い方あるけど、徐楓はルックスに力がある。
美人とかカワイイって女はあちこちにいるけど、ルックスにタダ者じゃない感が溢れてる女性ってのはそうそういない。
また『侠女』での徐楓の役が絶妙で。隣りの廃屋に住み始めた寡黙かつ妙に表情に力がある女。付き合い始めると織物織ったり薬を煎じたり洗濯したり、話もするし、でも何に使うのかわからない金属の棒を鍛造してたりする。すごい貧乏らしいのだが…
実は偉い人の娘さんであり、家族皆処刑され、味方の将軍たちと脱出し、政府から追われており、金もなく逃げ延びながら復讐を狙ってもいる、文武両道のすごい硬派な女だった! それでいて人を思い遣る気持ちもある。
という、萌えまくりなキャラ設定(笑)。
イメージ 2
左・昔出た『侠女』DVD。右・『キン・フー武侠電影作法』(草思社/山田宏一・宇田川幸洋)。

7月下旬、なんか映画観ようかと仙台でやってる映画をチェックしたら、なんと『龍門客棧』をやってる! マジか!
ただ例のダレ&金があまりなくて、結局スルーした。『侠女』だったら無理しても観に行ったけど…と自室で『侠女』のDVDを観てガマンした。
そしたら翌週から『侠女』の上映が開始!
なんか『侠女』のデジタル修復版ってのが作られたらしく、それがあちこちで順次公開されていって、今仙台でやってるらしい。『龍門客棧』はデジタル修復版と書かれてないんでこの機に乗じて単にリバイバル上映か?

イメージ 3
というわけで8/1観に行った。
少年時代の俺にとってもすでに観る機会の希少な古い映画だった。
それを21世紀に入ってからさらに17年も経ってからまさか映画館で観れるとは!
仙台ではフォーラムで上映。俺が前回行ったのは…マッドマックスの時か…久しぶり。
ネットの、なんかGoogleレビューとかいうのではフォーラムの従業員の接客の悪さがかなり書かれてるが、マッドマックスの時 特にそんな記憶はなかったし、今回も接客良かったぞ。むしろ好感度大だった。

でも2つ右隣の客が馬鹿だった。早々から落ち着きがない。やたら動いてて鬱陶しい。
最初自然の風景のカット、これが雄大で美しいんだけど、
それから舞台になるエリアの建物群のカット、これも趣ある古さで雰囲気あるんだけど、
で、それから人物カットに入ってってお話が始まるんだけど、
そいつ最初の光景のカットですでに脱落したらしい。たぶんそうなんだろ。典型的な、ストーリーで映画見る奴。
話が始まったら始まったでキン・フーの映画ってバンバン進まないでゆったりじっくり展開してくし。
でも本作の魅力はすでに最初の風景カットから始まってる。常々言ってるけど映画はストーリーじゃない。映像(と音)だから。この美しい風景映像がまず観所なわけで。
キン・フー「大陸に行った時、よく、「あなたの映画のテーマは何ですか」と聞かれる。テーマは常に映画なんですけれどね(笑)。 (中略) 彼らは『山中傳奇』や『空山霊雨』の自然をとらえたトップ・シーンとか、歩くシーンなどがあまり意味がない、何かの役に立っていないというんですが、それは意味があるとか役に立つかどうかに関係なく、見て美しければいいじゃないですかと、言い返してやった(笑)。」(『キン・フー武侠電影作法』より。大陸=中国。『山中傳奇』『空山霊雨』共にキン・フー監督作品)
テレビドラマと違って映画においては最優先は映像と音響。
映画とテレビドラマは同じものじゃない。もし同じなら、なぜオマエらはテレビドラマをわざわざ外に出て交通費かけてor車運転して映画館まで行って¥1800も払って見るんだ? バカな話だろう。映画はテレビドラマのデカいモノじゃない。別物。
テレビの映像は映像の質(奥行きがなくて質感もない=平面的でドライ)と音質(スカスカ)とモニターのサイズからいって体感とか“映像や音像で表現する”とかには向かず、脚本と出演者で引っ張るしかない。
一方映画は映像の質(奥行きがあって質感もある)と音質(迫力とか臨場感とか)とスクリーンのデカさからいって、2次元ではあるが一種の体感アミューズメントであり、また、動く絵画のようなもの(そこへさらに音までついてる)なんだよ。
本作も、雄大で美しい風景に見入り、趣ありまくりな建物の臨場感に浸り、その中で展開する明代の頃(1368年 - 1644年)の物語に没入する…体感アミューズメントであり かつ芸術だよ。映画らしい映画。

あと本作は単に風景が綺麗なだけじゃなくて、空間性を意識して撮ってるらしきことがわかる。スモーク焚いてる場面が結構ある。リドリー・スコットのように(後述の『ブレードランナー』の監督)。しかもリドリーよりずっと前に。
空間に物が漂ってると空間性が出る。銃撃アクションでなんやわからん紙クズが飛び散ったりするのもそう(笑)。
(これテレビドラマじゃやれないんだよ。奥行きが出せないから。)
『龍門客棧』ではスモークはなかった気がすんだけど(俺的に期待外れでDVD売っちゃったから憶えてない。今観たらまた感想違うかもしれない)、舞台になる宿屋が立体的空間構造だし。
やっぱ美しさだけでなく空間性も意識して撮ってた人なんじゃないかな?

徐楓が初めてスクリーンに映った瞬間、感激してしまった。(フォーラムは小ぶりな映画館なので)大スクリーンではないが、といったってテレビ画面とはやはりワケが違う。あの『侠女』の徐楓が映画館のスクリーンに映るのを直に観た感激。スチールでもテレビ画面でも見る者をグッと惹き込む存在感が、今スクリーンに映っている!
こないだのメル・ギブソンの話と一緒。徐楓は映画館で鑑賞に値する女優。
本作の景色と徐楓は映画足り得てる。

こういう作品に慣れちゃうともうちょっとその辺の映画は観れなくなっちゃうね。
…右のバカ、コイツ本作をワンダーガールズとかチャーリーズエンジェルあたりとカン違いして観に来たんじゃないか?
本作わざわざ観に来るのはちゃんと解かってる人だけだろうと思ってたのだが。
こういう奴がネットのレビューで古臭い、退屈などと見当違いなこと書き込むんだろうな。
テレビドラマは誰でも面白いつまんない言える。でも映画は絵画にちょっと近くて、鑑賞にセンスとか教養が要る。
100人観て100人がわかるハリウッド大作とかテレビの2時間ドラマみたいなのをそのまま劇場にかけたような貧相な邦画はテレビと同じ見方で見れるけど、そんな作品はそもそも映画足り得てないから。
なんで『ブレードランナー』が名画かって話よ。俺も高校生ぐらいの頃は必ず寝落ちしてたもんだけど(苦笑)、まぁその寝落ちがまた気持ちよかったわけだけど(爆笑)、
ストーリーで観てると退屈なんだけど、映画って映像(と音)を堪能するものなんだということを体得した瞬間、寝落ちしなくなる。
脳に新しいニューロンが生成される。映画を観る頭の回路が変わる。そして映画とテレビドラマは別物だと知る。
映画を観ることが解かると、映像に観所がなくストーリーで引っ張ってく映画はものすごく退屈になる。コレ映画館の大スクリーンでやる必要ないじゃん、千何百円も払って観るものじゃないじゃん、と。

…んが。しかし。
前述したことと相反するのだが(苦笑)、途中からしんどくなってきた。眠い…!
俺の持ってるDVDでは竹林のバトルの後もうワンカット次の場面があったかな、そこで上集が終わりと出て下集と出て、前回の続きみたいに竹林のバトルからまた始まる=ブッ続けでトータル187分あるのだが、まぁ自室で観てる分にはね、タバコ吸ったりコーヒー飲んだりしながらまったり観れるからさ。(デジタル修復版は上・下集の繋ぎ目シークエンスがカットされてのブッ続けになっている。)
隣りのバカがストレスになってるせいもあるのだが、やっぱ3時間は長い!
しかも本作はつい先日DVDで観ちゃったわけだし(苦笑)。
映画は2時間でも俺は長いと思う。改めて考えてみ? 2時間イスに座ってじっと観続けてるってちょっとムリがある。2時間というのは黙って座ってるには長い。1時間だともう終わり?という感じだし、ベストは1時間半ぐらいだと思う。
『侠女』は上・下集をつなげて1本にしてるからしょうがないっちゃしょうがないけど…。
開始早々大人しくしてられなくなってた右のバカは論外だよ。

確かに帰宅してから改めてDVD観返したらすごいキズだらけのカットとかあるけど、今回のはキズなんか全然なかった。
でも画質がすごいソフトだなぁと感じた。DVDはクリア。ただワイドスクリーンなのでテレビ画面(俺のは30インチぐらいなのだが)で観ると映像がかなり小さくなってしまう。ちょっとズームにして再生すると画質が粗くなっちゃうし。
あとさ、劇場で観ててカメラがパンするカットで歪むのはなぜなんだろう? DVDではそうはならない。

まぁ、貴重な鑑賞でしたよ。