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さて『ヴェンジェンス/復仇』(『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』)の話、『約束を守ることは、人間性である』から続き。

(以下、ネタバレ)

コステロの一直線な復讐譚、さぁペイバックタァーイム! ってのを期待してる人はこの展開にしっくりこないようだが(ジョニー・トーの映画をVシネとかただのアクション映画と思ってもらっちゃ困るよ)、
ジョニー・トーの映画は、このシリーズは、ロマンを描いてるんだよ。そこを観ろ!
男たちのロマンティシズム…ロマンがありすぎて、あと少しでファンタジーみたいな。
男の友情とか男の美学とか超えてるからね。
運命とか縁とか魂とかいうものを感じる。
これだけの人間がいるこの世で出逢うこと自体がすごい確率なのに、ソウルメイトに逢える可能性はもっと低い。
そのうえ本作は国籍まで違う。
様々な偶然の歯車が噛み合って、必然という運命があり、己を持った者たちがバッティングし、互いリスペクトの念を感じながら一時だけ共に過ごし、そして永遠の別離が訪れる…
なんてロマンティックなの♪
と女だったら舞い上がりたいところだ。
(ジョン・ウーの映画にもかつてはそれがあって、相当ドラマティックだったのにね。で、ジョニー・トーの方がロマンティック度がさらに高いんだよ。)
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コステロの復讐が記憶喪失のタイムリミットに間に合うか、じゃないんだよ。
普通はそこが見所になる。そこにハラハラし、その結末を見届けたいわけだな。
でも本作は間に合わない。そして間に合わないからこそ生まれたドラマがあるわけよ。
復讐の旅路で記憶を失いつつあるコステロが出逢った、3人の素晴らしい男たちとの友情…
というか無念にも喪失した大事なものを、アカの他人が引き継いで完遂する…「約束」とか「思い」を大事にする。
男たちの間に流れるロマンがテーマなんだよ。
だから冒頭あたりで3人がなんかチョロチョロっとやって(鍵の入手方法やチェーンの開け方とか)仕事を完遂する、まぁはっきり言っていい加減な描写だよね、でもそれで別に構わないんだよ。
そういうとこは重要じゃないから。
復讐をリアルに熱く描くんじゃない。
ストーリーは復讐を軸に展開するけど、テーマは復讐じゃないんだよ。
そして、一見シリーズ前2作とはかなり違う話のようでありながら、これで結局まったくといっていいくらい同じような話になる(苦笑)。

ゴミの山で展開される、3人と組織の銃撃戦。
舞い散りまくる紙クズが絵的に美しくもあり、ファンタスティックでもある。
こういうとこを観ててもこの映画がノアールというよりファンタジーなんだという事がわかるが、
ほぼ全編映像がセンスのいいスタイリッシュさで、本作の大きな観所の1つが映像である事が最も色濃く出てる場面でもある。
ドラマや演技を抜いても、映像だけで充分最後まで観れる作品だよ。
そして映画とはそういうものだよ。そこが映像に重点を置けないテレビドラマと決定的に異なる点。
その意味でも本作は合格。
ドラマの方は、3人は組織のかなりの人数を殺すが、ハチの巣にされて荒野ならぬゴミの山に野垂れ死ぬ。
ボスはまだ生きている…。

テレビで3人が死亡したニュースが顔写真付きで流れる。
コステロはそれを見ても何も思い出さないのだが、女子供たちの様子を見て――
「私は彼らを知っているんだね?」
「おじさんの友達…親友だよ」
コステロの元には、クワイが最終標的の名前を書いてくれた、コルト・ダブルイーグルが。
俺にはやらなければならない事があるようだ。何か、とても大事な事が…。
女子供たちの助けもあって、遂にコステロは本当の敵と対峙する――。

本作観てガッカリした人が結構いるようなんだけど、それは観方を間違えてるから。
復讐のカタルシスを求めて観るとハズす。作品に流れるロマンがみえたなら、この映画はなかなか悪くない。
俺的には『エグザイル』の方が良かったけど、量産されまくってる映画の中で、本作が良質な映画なのは間違いないよ。

ただ、この映画は好き嫌いで言ったら好きだけど、クライマックス直前~ラストがねぇ…ちょっとなんだか釈然としないんだよね俺的には。
特に納得いかないのがラストで、あれは何?
子供たちと触れ合うコステロの笑顔。
辛い記憶を失って、笑顔だけが残った。本人は憶えてなくても、復讐は完遂された。
素晴らしいじゃないの、ハッピーエンドじゃないの、ってこと? …なんか釈然としないんだけど。
コステロは3人のことも もう忘れちゃってるわけだしね…
いいことも辛いことも、すべてがなかったことになっちゃって、なんか…
すべてを憶えているか、すべてを忘れるか、どちらかを選ぶなら、俺はそれでもすべてを憶えている方を選ぶ。
それとも俺が感じ取れてないだけで、実はあのラストには素晴らしい意味があるのかな?
でもねぇ、娘さんどうなったんだよとか、気になるだろ?
なんか最後ムリヤリ締めてないか?(苦笑)
クライマックスとその直前あたりも、なんかねぇ…
記憶のないコステロがどうやってボスに銃口を向けるとこまで辿り着くんだろう?と疑問だったんだが、
その展開の処理がなかなか強引じゃないの?
霊体見たって思い出さないだろう。
いやいやオマエ、ここもオマエが散々言ってるロマンってやつだよ! って事?(笑)
いやぁ…ねぇ?(苦笑) ロマンがあればなんでも許されるわけじゃないからさ。

…これ たぶんさぁ、3人が死んだところで終わってる話なんじゃないかな、本当は。
『エグザイル』の時と同様、最後に敵味方問わず全滅したら、上等な完結度なんだよ。
ジョニー・アリディが筆頭で主演になってるけど、実は3人組の方が主役で、コステロは準主役じゃないのかな?
でもあのジョニー・アリディに出てもらって(最初の予定ではアラン・ドロンだね)、プロデューサーもフランス人なの?
ストーリー的にも、コステロがまだ残ってる。
だから最後コステロが締めるけど、締めが強引なんじゃない?
なんでアラン・ドロンが降りたか?
結局コステロって役はこの物語・このテーマ(失われた約束でも守る、その男気、そのロマン)を成立させ推進させる軸でしかないから。
ジョニー・アリディの存在感がかなりいいんで気づきにくいんだけど、実はコステロってあんまりこれといった事してないんだよね。
キャラクターとしてカッコいいのは、そして本作のテーマを担ってるのは、3人の方なんだよ。
そこがアラン・ドロン的に納得いかなかったんじゃない?
そう考えるとすべてがしっくりくるんだよ。
ジョニー・アリディ及びフランスへの配慮がなかったら、ゴミの山で全滅して(ボスも死んで)たね、間違いない。
あるいは記憶をなくした依頼者がアジア人で、依頼を受けた方がフランス人の男だったら、アラン・ドロンは出演してたね、間違いない。

あともう1個だけ不満を言わせてもらうと、音楽がなぁ…
落ち着いてるんだよ。違う言い方をすると物足りなさ過ぎる。
『ヒーロー ネバー ダイ』や『暗戦』シリーズでは音楽がドラマティックで、すごい高揚感があった。
でもその後のジョニー・トー作品は派手な音楽を嫌って避けてるように見受けられる。
作品が軽いとか派手とかいうテイストにならないようにしてんのかな?
求めてるのは落ち着いた大人のセンス?
でも個人的好みからすると音楽はドラマティックにしてほしいんだよ。
音楽は映画の生命線でもあるから。
例えばクライマックス、コステロがボスの所へ乗り込む時は、『GONIN』の『どしゃぶりの復讐』みたいな曲が流れたら最高だったな!
音楽がドラマティックだったら、本作に感動する人はもっともっと多かったと思うんだよ。