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イメージ 3秋の夜長に最適な映画鑑賞として、今回は『ブレードランナー』だ。
これは間違いなく傑作映画。これこそが「映画」である、という。
本作は深夜BGVに最高なんだけど、そういう話だけで済ますわけにいかない。
映画の本質というのかな、そういうものを語るうえで絶好のサンプルなんで、ちょっと映画論も一席ぶつよ(笑)。
映画をストーリーで観てる奴は『ブレードランナー』を観て、自分は映画鑑賞には不向きなのだと悟ったほうがいい。

当ブログでは常識なんで繰り返しになるが重ねて言うと、
映画とテレビドラマは違う。映画はテレビドラマのデカいやつだと思ってる奴が多いんだが、これはハッキリ間違っている。
まず映像の質が違う。映画の映像は奥行きや質感がある。テレビの映像は平面的でドライ。
だから映画は世界観を表現するのに向いており、テレビドラマはこれに向かない。
それから時間制限の差。
映画は長くても3時間が限度だろ。それ以上は観てる方が疲れる。2時間でも長いぐらいだ。
それに対してテレビの連続ドラマはランニングタイムに限界がない。サザエさんをみろよ(笑)、永遠に続くんじゃないのかっていう(苦笑)。
だからストーリーを追う内容なら間違いなく映画は向かずテレビの連続ドラマが向いている。
テレビドラマは“映像で語ることが出来ない”からストーリーで引っ張るしかなく、
映画はその映像の質や劇場のサウンドシステムなどにより感性で鑑賞する度合いが高い。
だからテレビドラマは脚本家の存在が重要であり、映画は脚本の重要度は低い(ヘタすりゃ なくてもよろしいぐらいだ。でも映画制作にあたり脚本を重要視するプロデューサーや俳優は圧倒的に多く、それだけ映画とテレビドラマの違いを理解してない奴が多いことの証明でもある)。

良い映画というのは、音声を消して観てても、字幕なしで観てても、観ていられる。
ストーリーやセリフに依存しなくても成立する。
PVは違う。そっちは同じビジュアル重視でもスカスカなんだよ。映像に意味なんかない。カッコいいかどうか、気持ちいいかどうか、それもかなり浅いレベルで。
『ブレードランナー』はストーリーで展開する古いタイプの映画の先の地点にある作品であり(映画はただ機関車がこっち(カメラ)に向かって走ってくる映像で客がパニックになって逃げ出したっていう原初的なインパクトからスタートし、それが飽きられてストーリーというものが導入された。そこからさらに物語ではなくビジュアル&サウンドによるアートに進化したのが『ブレードランナー』なんだよ)、だがPVのように映像というものを軽んじてもいない。
一般ウケする映画の映像に映像言語は無いが、『ブレードランナー』は映像で語っている。PV映像は何も語ってないが、本作は映像が語っている。
本作こそ、「映画の映像は奥行きや質感がある」「映画は世界観を描くのに適している」という事を最も実践した1本なわけ。
だから映画のベスト10というものを決めるとしたら、『ブレードランナー』は絶対に入る。入らなければおかしい。
それは好みの問題じゃない。
『ブレードランナー』が“本物の映画”だからだよ。本質的に「映画」なんだよ。
そして『ローマの休日』(観たことないが)とか寅さんとかハリウッドのデカバジェ&マーケティングに基づいたアホ映画とかテレビの2時間ドラマを劇場にかけてるような邦画とか…etcは絶対にランクインしない。するわけない。

ストーリーで本作を観てるとかな~り退屈。
ストーリーらしきものは一応あるんだが、展開してるのはストーリーではない。
ビジュアル。世界観。音。
このへんがメイン。
あまり誰がどうこうして何がどうなったということじゃなく、ここで描かれる近未来の街=世界観や空気感や雰囲気を味わい、そこで展開するゆったりしたドラマと 流れる癒し系な音楽に浸る。

…ちょっと誤解のないように言っとくと、
リドリー・スコットという監督は決してストーリーやドラマをおろそかにはしてない。
映像が、ストーリーの説明映像に堕してないんだよ。
あと前に『ブラックレイン』の話で言ったけど、ドラマというものを脚本とか役者の演技でなく、映像でやれる監督なんだよ。

『ブレードランナー』はすごくムーディでアダルト(大人っぽいという意味)。
ガキにはわからない。感性の低い奴にもわからない。
実際俺も16~17歳の頃かな、『紅い眼鏡』と『ブレードランナー』は観たら絶対寝る映画だった(笑)。
ガキってのは常に何かが起こってないと鑑賞に耐えられないんだよ。
子供向けアニメの演出みたいなもんでさ、本筋に関係なくても5分に1回クマでも出せって。そうしないと子供は退屈して他のこと始めるからっていう。それとおんなじだよ。
だから『ブレードランナー』、あとタルコフスキーの映画とかもだけど、ああいうのをじっくり味わえるっていうのはセンスや、落ち着きのあるメンタルが要る。
あと経験というのも要るね。経験を重ねてものの見方が上がったり広がったり深まったりという。芸術を解するにはある程度の研鑽も要るようだ。
(ちなみに『紅い眼鏡』が眠くなるのは、ストーリーで観てたらわけわかんねーからだよ。A→B→Cと整った流れで展開しない。でも実は現実というのは散漫で、それこそA→B→Cと整った1本の流れで展開してない。そういう意味で『紅い眼鏡』という映画は人間の意識の本質に触れてるとこがあって、興味深いというか凄い映画である。)

俺は本作に対して暗いとか陰鬱とか退廃的とかいう印象はあまりないんだよな。
むしろゴージャスな作品という印象。
映像のセンスや情報量が凄いんで、観てて豪華絢爛という感じ。
ほとんどどのカットも観てて飽きない。
リドリー・スコットの芸術的センス・映像センスが炸裂しまくり。
静止画にしたら芸術写真と匹敵する芸術度じゃないか?っていうか、芸術写真の映像版というか、そのぐらい本作の映像の素晴らしさはバキバキにキテる。
それでバックで流れてる音楽がヴァンゲリスのあのセンスいい落ち着いてて癒し系でセンチメンタルなスコアだろ。
視覚と聴覚に上質な体験が来る、極上の映画鑑賞・映画体験。
ヒーリング効果も絶大で夜のお供に最高のネタでもある。

映画というものが絵画や芸術写真や音楽などと並んで芸術たり得ることを(絵画や芸術写真や音楽などとはまた別の芸術創作・表現方法の1つであり得ることを)証明した1本。
『ブレードランナー』を良いと思えるか否かで、映画の楽しみ方の度合いが格段にズレてくる。
ストーリーで観てるなんて映画の観方としては貧相すぎる。
それはかなり古い観方で、“いまだに映画をストーリーで観てんの?”って感じ。
ストーリーで観るという観方もアリはアリなんだよ。ミーハーに俳優で観たり、ガンエフェクトで観たり、特殊効果とかを好んで観たりっていう、そういう観方の1つとしてストーリーを楽しむというのもアリなんだけど、
映画にとって一番大事なのがストーリーだってカン違いは致命的だろ。