前半面白い。テンション高い。役者が じゃなくて状況が。
押井守がやる都市型テロをチラッと感じたが、押井の場合テロ側の理念とか計画が理詰めの面白さ・凄さなのに対し、こっちは現場の状況が面白い&凄い。
また、降りかかってきたサイバー・テロというハイテクバトル状況に現場経験と人生経験で――要するにアナログで――対処するマクレーン/ブルース・ウィリスを見てて、『ロッキー・ザ・ファイナル』と同様、“なんで今さら?”じゃなくて今また再びやる意味を感じられた。

…と思ったのは中盤くらいまで。後半になると失速する『ダイ・ハード3』パターン。敵との距離が詰まってからが なんかショボくなるんだよな。
『3』とは違い、今回後半がショボいのは人質に取られた娘を助ける為に戦う展開になったからだと思うよ。
21世紀型テロとか21世紀にダイ・ハードをやる意義が失われ、単に人質を救う・娘を救うという、古臭い話に退行した。少なくとも俺はあれを見てて“普遍的なテーマを描いてる”とは思わなかった。“退行”としか思えなかった。
それは『マトリックス』もそうで、新次元映画と思いきや(途中まではそうなんだよ)、結局“愛は地球を救う”的な古典的な展開になってく。踏み込めてない。
スタンダードとか普遍的ってのは素晴らしいじゃないか、正当/正統じゃないかって反論はこの場合見当違いで、要は21世紀の映画として中途半端なんだよ。踏み込んだら戻るな。行ったら行きっ放しでいいじゃん。
もっと言っちゃえば、俺からすれば愛とか何かを守るとかいう話はテーマとしても物語としても、ちょっともう どうかな…っていう。
テクノロジーが発達したり、頭のおかしい奴が増えたり、時代は変わってるわけで。
愛云々もまぁいーけどさ、もっと違うテーマの作品がどんどん出てきてもいいと思うんだけど。
映像表現はなんかゴチャゴチャいろいろ新しい事やってるようだけど、物語とかテーマって部分では相変わらず変わり映えしない事をやっている。しかもそれは普遍的テーマなんかじゃなくて単に慣習っていうか妄執っていうか(苦笑)。
『マトリックス』も『ダイ・ハード4.0』も、どう展開してくんだろう、どうケリつけるんだろうって期待して観てると、結局昔の作品と同じじゃんっていう。
クレバーな内容を完遂する、行きっ放しなのは、押井守ぐらいだよ。
もったいないよな、現在の人間社会の弱点をこれだけ(ストーリー的にも作品の予算的にも)デカい規模で突いたんだから、最後までこれを物語のメインに据えてやってたら凄い映画になってたのにさ。
人質救出してテロリストを逮捕or 皆殺しにすれば解決じゃないだろう。警鐘を鳴らすっていうか…こういう事もありえるっていう単純な警告の話じゃなくて、ローソクの生活に戻れんのか、いや戻れやしない…で何? っていう、そこから先を見せてほしいのよ。
押井はテクノロジーの街 東京を空爆して通信網・交通網を遮断・破壊し、自分の足と目で状況を掴むしかない、そうなった時、人は本当の“現実”を取り戻せるっていう哲学的・観念的なハイレベルのテロをやったわけだ。
ダイ・ハードに哲学は要らないよ。そういう作品じゃないんだから。でもね、この“自分の足と目で状況を掴むしかない”っていうのをマクレーンがやれば良かったんだよ。それがまたアナログ人間マクレーンのキャラ的にもすんなりハマッて、21世紀型ダイ・ハードに相応しい(やってんじゃん、って突っ込まれそうだけど、娘を助けに行くってのは違うだろ)。
そうすれば薄いエンタテインメント(観てる間は面白いんだけど、次の日には忘れてるような映画の事だよ)にはならなかった。