中村メイコさん逝く | 気ままな暮らしDAISUKI!

中村メイコさん逝く

数少なくなった昭和の生き証人だった女優の中村メイコさんが昨年12月31日に肺塞栓症のため死去していました。

享年89。ホリプロが1月7日に発表しました。

 

最後の仕事は昨年12月25日に収録したテレビ朝日「徹子の部屋」で、夫で作曲家の神津善行さん(92)曰く「2歳8ヶ月で映画デビューしてから86年という芸能生活を、生涯現役のまま幕をおろすことになりました。長い時間をこの世界に存在させていいただいたこと、皆様に深く感謝 申し上げます」。

直前まで活動して、苦しく長い闘病などなく素早く逝くというのは、生前のお人柄とおり、まさにご立派な去り際です。

 

天才子役として2歳から映画やドラマ、ラジオに出演。

NHK紅白歌合戦では1959年から3年連続で紅組司会を務めました。

長女は作家の神津カンナさん、次女は女優の神津はづきさんで、その夫は俳優の杉本哲太さんという芸能一家です。

 

2歳8カ月だった1937年、父に抱かれた写真が婦人雑誌に掲載され、これがきっかけで榎本健一主演の「江戸っ子健ちゃん」で映画デビュー。

芸名は本名の五月を英語「MAY」として「ナカムラ・メイコ」とし、37年公開の「南風の丘」から中村メイコと改めました。

5歳で出演したNHKラジオ連続放送劇「ほがらか日記」が人気となりました。

1949年にNHKラジオ「ジロリンタン物語」「お姉さんといっしょ」に出演。複数の人間の声を使い分ける“七色の声”が話題となりました。

1955年にはビクターレコードから「田舎のバス」で歌手デビュー、大ヒット。江利チエミさんの名曲「新妻に捧げる歌」の作詞者です。

 

拙者がテレビを見るようになってからの活躍は、NHK「連想ゲーム」の紅組初代キャプテン、「お笑いオンステージ」、フジテレビ「3時のあなた」の司会など。先日、アイドルのルーツをたどる番組に出演しているのを見たばかりです。

 

永六輔さんのラジオ番組によく出ていたのが印象に残っています。

永さん、ゲストによく来ていた若山弦蔵さん、前田武彦さん、白石冬美さん、そして中村メイコさん。

みんな鬼籍に入ってしまいました。

合掌。

 

ところで肺塞栓症は急性の場合「エコノミークラス症候群」と呼ばれ、心臓から肺に血液を送る肺動脈に血栓が詰まる病気で、肥満や高齢者のほか、体内の水分量低下、飛行機やデスクワークで同じ姿勢を取り続けることなどにより血栓ができるそうです。拙者も中高年だし、座ってパソコン作業が多いので要注意ですね。

 

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