倉田まり子「グラジュエイション」 | 気ままな暮らしDAISUKI!

倉田まり子「グラジュエイション」

昨年の今頃に名古屋へ行った際には桜満開でしたが、今年は寒の戻りのせいかまだですね。
連日の冷たい強風と気まぐれな雨。
もう三月も終わりだというのに、本格的な春はまだで待ち遠しいです。
 

わが母校の早稲田大学の卒業式が終わりました。

今もたまに1986年3月25日を思い出します。

桜満開ながら前日に降った大雪が残っていました。

会場の記念会堂には同級のデーモン閣下の顔もありました。

もう甘い学生生活とお別れし、厳しい社会に出ると思うとがっかりだった記憶があります。

 

「卒業」の歌と言えば斉藤由貴、尾崎豊、菊池桃子、ハイファイセット他。  

舟木一夫「高校三年生」、おニャン子クラブ「じゃあね」、松田聖子「制服」などたくさんありますが、拙者が絶対忘れられない名曲が、大好きな倉田まり子さんのデビュー曲「グラジュエイション」です。
現在もよく聴くし、カラオケでも歌っていますよ。 

 

なお、海援隊の「贈る言葉」は失恋ソングであって卒業ソングではありません。
1979年にドラマ「3年B組金八先生」のエンディングテーマ曲として使われ始めた際には特にパッとしませんでしたが、ドラマの人気が出て最終回を迎える頃になると大ヒット。
ドラマの卒業場面と重なって卒業ソングだと誤解する人が多いようです。
1980年4月に高校3年になった拙者はまさにB組になりました。
驚くとともに、卒業する時には「贈る言葉」を歌いました。(笑)



グラジュエイションは1979年1月21日リリース。

 作詞:山上路夫、作曲: 都倉俊一、編曲:川口真の名トリオの作品です。

 

♪ここから誰もが巣立ってゆくの

 知らない世界がそれぞれ待つわ

 リボンで飾った証書を持って

 泣いてる子いる はしゃぐ人も

 別れても友達よ 逢いましょういつでも 

 けしてあなたを忘れないわ♪


曲を聞くと美しい旋律と素敵な歌詞。

卒業式風景が目に浮かびます。  

甘くて切ない青春の1ページです。

 

できることならあんな日に戻りたいものです。

ちなみに拙者の高校の卒業式は1981年3月6日。

式が終わるや否や、雰囲気に浸ることなく

早稲田大学商学部の合格発表を見に行きました。

案の定不合格で、浪人が決まりました。


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アルバムの付録より。テレビ東京の竹﨑アナ似。

 

倉田まり子さんは1960年11月20日長崎県諫早市出身です。

1974年、TBS『家族そろって歌合戦』(獅子てんや瀬戸わんや司会)が長崎県島原市で収録されて出場した際にスカウトされ、高校1年のとき上京しました。  

NHK『レッツゴーヤング』のサンデーズの一員として1978年4月から1981年3月までレギュラー出演。

 

芸名の「倉田」は、師匠で作曲家の当時「レッツゴーヤング」の司会を務めていた都倉俊一氏から一字もらいました。拙者が見染めたのがこの頃。今なら乃木坂46二期生の鈴木絢音ちゃんのような清楚な美少女でした。

 

1979年1月にキングレコードから名曲「グラジュエイション」でデビュー。

1979年8月に発表されたシングル3曲目の「HOW! ワンダフル」のヒットで人気を確立し、日本歌謡大賞放送音楽新人賞 、FNS音楽祭 最優秀新人賞などを受賞しました。  

後に菊池桃子ちゃんも入学する日出女子学園高等学校卒業。

あだち充原作漫画『ナイン』の声優、テレビドラマ『気になる天使たち』、『ちょっといい姉妹』に出演しました。

 

しかし1985年、「投資ジャーナル事件」の騒動に巻き込まれ、芸能界を引退するはめになりました。

引退後は国際法律事務所の弁護士秘書、資格試験予備校の執行役員・講師を経て独立。

キャリア・カウンセラーとして大学生への就職指導、企業・自治体向けの研修ビジネスを手がけています。


芸能界DAISUKI!

超入手難の「近代映画」の特集号。

残念ながらまり子様はナント、本格的な写真集を出していないのです。



ところでテレビ東京の竹﨑由佳アナを見ていて何か感じるなと考えていたら、まり子様に似ていることに気がつきました。さわやかで上品で、感じが良い女性です。

 

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