聖徳太子は蘇我入鹿である〜西向く入鹿公〜 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

昨日は

「目黒学園カルチャースクール」の日✨

関裕二先生の講座を受講してまいりました♬



『聖徳太子は蘇我入鹿である』

〜第1回 蘇我入鹿は大悪人である?〜





なぜ歴史書が編まれたのか

口の阿礼と文の安万侶

古事記の怪しい序文

語られない聖徳太子

蘇我氏はどんな悪さをしたのか

上宮王家滅亡事件の破壊的な謎

などなど♪



今期は関先生の処女作と同じタイトルの講座とあって、とても楽しみにしていました❗️講座でのお話もいつもながら引き込まれてしまったのですが、「聖徳太子は蘇我入鹿である」を書くきっかけとなった出来事や経緯を先生から直接お聴きすることができ、当時の様子を楽しく想像しながら受講することができました☆


講座の内容の一部を関先生の講座の資料より、ちょこっとだけご紹介いたします。



写真は自前です



『入鹿神社』

奈良県橿原市小綱町には、素盞嗚尊そして全国で唯一「蘇我入鹿公」を御神体とする神社です。西面して建っています。


神社に伝わるところによれば、乙巳の変で蘇我入鹿公が飛鳥板蓋宮で中大兄皇子や中臣鎌足らに倒された頃、小網町は隣町の曽我町(宗我坐宗我都比古神社がある)の領地だったので、蘇我入鹿公はこの入鹿神社あたりで幼少期を過ごしたとか、入鹿公の母が身を寄せた家があったなどと伝えられています。


また蘇我入鹿公が首をはねられたので、昔は小網では鶏を飼わなかったとか、小網で生まれたものは蘇我入鹿公を暗殺した中臣鎌足を祀る多武峯へ参ると腹痛が起るとか、明日香村小原は中臣鎌足の母の出生地ということで、小網町と小原は縁組みしない等、いまだに続く風習もあるそうです。



写真は自前です



写真の「蘇我入鹿公御舊跡」と書かれた石の標識ですが、第二次世界大戦中に、蘇我入鹿公の旧跡としての確かな史実の裏付けがないということ、また“いたずらに人心を惑わす”とされ、強制的に撤去されました。しかし戦後は集落の人々により元に戻されています。


石の標識には、蘇我入鹿「公」と尊称までしっかり刻まれています。果たして逆臣をそのように称するでしょうか。。。


社名についてですが、明治時代に橿原神宮造営にあたり、皇国史観に基づいて神武天皇を祀る橿原神宮の近くに、逆臣である蘇我入鹿を神として祀るのは都合が悪いとして、ご祭神を素盞嗚尊に・社名を地名からとった小網神社に改めるように政府から言われましたが、地元住民はそれを拒んだといいます。


日本書紀に基づいた「蘇我氏逆臣説」が日本史に通説となっている今に至るまで、地元の人々から崇敬を集めています。



関裕二先生のお話と講座資料

そして2年前の奈良ツアーを参考に
書かせていただきました💖




さて、明日から奈良へ行ってまいります❗️

明日の4日(金)〜8日(火)まで奈良におります。
その間、対面鑑定・オンライン鑑定はお休みさせていただきますのでよろしくお願いいたします🙇





占いサロン「青琴会」 

和楽の10月の予定

第3〜5火曜日・毎週木曜日

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