☆末侯 (10月3日頃)
水始涸:みずはじめてかるる
※田んぼの水を抜いて稲刈りの準備を始める頃。または井戸の水が涸れ始める頃という二つの説があるようです。
昨年は、空海さんが日本にもたらした「かりん」についてご紹介しましたが、今回はわたくしが目指している境地「中道」について書かせていただきます。
皆さんは『中道(ちゅうどう)』という言葉をご存知でしょうか?わりと身近な仏教用語ですので、聞いたことがあるという人も多いのではないかと思います。
中道とは、仏教の教えで
何事に対しても極端に考えず
偏らずに関わっていく生き方
という意味があります。
真ん中…2つのものの中間、という意味だと思われがちですが、真ん中を指す言葉は「中庸」です。
私たちは日々生きていく中で喜怒哀楽を感じますが、それらのどの感情にも執着せず心を保つ、というブッダの教えですね。
えっ喜や楽の心は良いことではないの⁇
と疑問を感じられるかもしれませんが、喜怒哀楽全ての感情は刺激によって生じます。聞くところによれば、楽しいこともストレスなのだそうです。また楽は“らく”つまり怠惰や欲にもつながります。喜が続けばやはり傲慢にもなるでしょう。”現代はストレス社会といわれますが、人間である以上、昔も変わりはなかったかと思います。
もちろんですが、こんなことを書いている私も日々色々な感情に囚われています。なかなか平安ではいられないこともございます。ですがこの中道という考え方を知ってから、だいぶ心が軽くなった気がしています。
『弾琴のたとえ』
お釈迦様…ブッダの弟子のソーナは、足から血を流すほどの厳しい修行に猛邁進していましたが、なかなか悟りを得ることが出来ませんでした。
ある日ソーナは
「私は修行僧の中でも特にがんばって修行をしていますが、いつまで経っても悟りを開くことが出来ないので見切りをつけ、世俗に戻って実家の資産で裕福に暮らした方が良いのではないかと思います」
と伝えました。
するとブッダはソーナに
「あなたは出家する前に琴を弾くことが上手だったと聞いたことがあるが、琴の弦を強く張り過ぎた場合、良い音色を奏でるだろうか?」
「いいえ、あまりにも強く張ったら良い音はでません。」
「では琴の弦があまりにも緩く張られたら、良い音色を奏でるだろうか?」
「いいえ、弱すぎても良い音はでません」
「では強くも緩くもなく、ほどよく弦が張られたなら、その琴は良い音色を奏でるだろうか?」
「はい、その通りです」
「修行もそれと同じで、精進を重なるのは大切だが、あまりにも過酷な状況に身を置くと心が昂り静まらない。かといってゆるい状況にすれば怠惰な心が湧いてきて修行にならない。だからあなたはこれから身も心も平穏に保つことを目標にして精進するのです。」
「わかりました」
ブッダ自身も出家してから過酷な苦行を続けましたが、悟りを開くことはできませんでしたが、最後の最後に苦行の無意味さを知り「中道」という考え方に行き着いたのです。
昼と夜の長さがほぼ同じになる年二回のお彼岸の日に、私たちも喜怒哀楽のいずれかに偏っていた自分の心を一度平らにしてみる。そんなことを心に留めながら、秋分を過ごしてみませんか💖
暑さ寒さも彼岸まで♪
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