『神倉神社』
ご祭神
天照大神 高倉下命
熊野速玉大社の摂社
ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
の構成資産
標高120mの神倉山。天ノ磐盾という険しい崖の上に鎮座する神倉神社⛰️熊野三山の神が最初に降臨した霊地とされます。
写真は車窓から撮影したのですが、まさに断崖絶壁ですね!
☆猿田彦神社
入り口には参詣者を山頂まで導いてくださる猿田彦神が鎮座します。左へ進むと神倉神社の赤い鳥居が現れました。
権現山の麓から538段の石段を登り
皆さんと社殿を目指します。
かなりの急勾配💧
この石段は源頼朝が寄進したと伝わります。
参拝者が石段を踏み外して転落し、死亡事故なども起きていますから、慎重に気を配りながら登らなくてはなりませんね。
実はこの日は雨の予報が出ており、この時点で結構どんよりしてきていました。雨が降ったら石段が滑って危険なので、神倉神社は行かないことになっていましたが、お天気がなんとか持ち堪えてくれたので、参拝が叶ったんです🌦️
☆火神社・中地蔵堂
石段の途中には、私たちを見守るようにいくつかお社がありました。
☆満山社
明治時代初期までは境内に中地蔵堂や満山社などがありましたが、明治3年の台風で倒壊し荒廃したため熊野速玉大社に合祀されています。
毎年2月6日の夜に斎行される「御燈祭り」は、2000人もの白装束の上り子が松明に神火を受け、この急な538段乃石段を駆け下りる奇祭で、当日は女性の入山は禁じられ、男性は誰でも参加出来るそうです。ここを駆け下りるなんて想像しただけで恐怖ですよね🔥
お祭りの朝は熊野灘の浜で禊をし、白装束の腰には荒縄を3・5・7回のいずれかの奇数で巻いて、松明を持って石段を登っていきます。
白は喪の色。
民俗学的には、日常で藁の帯をするのは禁忌で、しかも荒縄を奇数で巻くのは死刑囚や死体なのだそう。このお祭りは野辺送り…黄泉の国へ向かう葬列をあらわしているのではないか、と読んだことがあります。
熊野といえば補陀洛渡海が行われていたこともあり、「花の窟神社」には黄泉の国をつかさどる伊弉冉尊の墓地があると伝わりますからナルホド納得です。
あれがそうかな⁇
後一歩。。。
神倉神社ご神体『ゴトビキ岩』に到着🪨
すっごい迫力。そして神聖さを感じます✨
“ゴトビキ”とは新宮の方言でヒキガエルをあらわすそうです。
さらに石段を上り参拝🙏
お社からは新宮の街並みが見渡せます。
記念撮影
☆古神殿
東川宮司様の案内で、ゴトビキ岩の斎場へ。
岩と岩の間にしめ縄が付けられ白い玉砂利が敷かれており、古代の祭祀場だったことがうかがえます。
岩の周辺からは平安時代の経筒や、銅鐸片などが出土していることから、神社の起源は磐座信仰と考えられています。創建年代は128年頃といわれているようです。
磐座は陽と陰が対になっていることが多いですが、神倉神社においても明らかにゴトビキ岩が陽(男根)・古神殿が陰(女陰・ホト)と感じました。
おや、ここにも銀竜草が♡
ひとしきり古代の雰囲気に包まれた後は、名残惜しくも下山開始。
ネジネジの木🌲
(勝手に命名)
帰りは「女坂」を下ってみることに。
女坂は足元はあまり良くありませんが、万が一転んだ時のダメージは男坂よりはかなり少なそうです。
↓こっちは転んだらヤバい💧
あともう少しで下界…
というところで石段を見上げると。。。
なんと山の神降臨✨
なんと神々しい
向かって右下の写真ですが、病気平癒など体に関することにとてもご利益のある木とのこと。たまたまご一緒した地元の男性に教えていただきました。触って祈願するものだそうで、ありがたく祈願させていただきました♪
5年前に熊野を訪れた際には神倉神社へは行かなかったので、今回ご縁があり本当に嬉しかったです💖
そしてこの高揚感は
さらに続くことになるのでした☆
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