彼岸会の始まり〜鎮魂の祭祀〜 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

明日の9月20日(水)より秋のお彼岸に入ります🪷

お彼岸は
お墓参り・ご先祖供養・六波羅蜜の実践
などなど、極楽浄土に想いを馳せる期間。

お盆、そして春と秋のお彼岸。
一般的には仏事と思われていますが、実は仏教にはない日本固有の習俗で、どちらかといえば神道的な行事なんです。




その根源にあるのは、仏教渡来以前からの日本古来の「祖霊信仰(祖先崇拝)」

日本での祖先崇拝は、仏教が伝来した6世紀半ばよりかなり以前から行われており、縄文時代においては環状列石による祖先崇拝を中心とした祭祀・儀礼が行われていたことも分かっています。


古事記や日本書紀に明るい方はご存知と思いますが、記紀にも皇祖の御霊を祀った記述が見られます。

さて、お彼岸といえばお墓参りですが、この彼岸会の起源は1200年ほど前まで遡ります。

公式の記録によりますと、大同元年(806)に怨霊としても知られる「早良親王」のために日本初の彼岸会が執り行われています。


『早良親王(崇道天皇)』

早良親王は光仁天皇の皇子で、桓武天皇の同母弟に当たります。早良親王は、幼少から東大寺羂索院に奇住、11歳で出家し修行を重ね21歳で受戒しています。その後は良弁の後継者として指導する立場の高僧となっていましたが、桓武天皇が即位した際に、光仁天皇の勧めで還俗し皇太子となりました。かなり優秀な人物で、将来を嘱望されていたことがうかがえます。

当時、桓武天皇には藤原乙牟漏おとむろとの間に皇子の安殿あて親王を設けていたのですが、弟の早良親王が皇太子となったため、かなり不穏な空気があったと思われます。さらに藤原乙牟漏が皇后となり、安殿親王は“天皇と皇后の皇子”という、最高の皇位継承者となりました。


早良親王は光仁天皇を父としますが、光仁天皇の皇后は井上内親王。早良親王の生母は渡来系の氏族である高野新笠(たかののにいがさ)です。

光仁天皇が崩御すると、早良親王に決定的な事件が起こります。それは「藤原種継暗殺事件」

天皇の信任が厚かった長岡京造営史の藤原種継が、夜間に工事現場を視察中に何者かに矢を射られ暗殺されたのです。

これにより嫌疑をかけられた数十名が斬刑または流刑という厳しい措置がとられ、この中に早良親王の関係者がいたことから、早良親王も捕らえられ幽閉されてしまいました。

10日余りも抗議の断食をする早良親王。
流刑先の淡路島に船で移送中、山瀬高瀬橋の辺りで憤死。36歳でした。遺体は淡路島に埋葬されました。おそらく暗殺されたと思われます。

これにより桓武天皇の皇子である安殿親王が皇太子となり、後の平城天皇となるのです。

しかし早良親王が憤死してから3年後…
夫人である藤原旅子が30歳で薨去。
続いて安殿親王の生母である藤原乙牟漏が31歳で崩御。側室の坂上又子も逝去。
と桓武天皇のまわりの女性が次々と若くして死亡するのです。

さらに…
桓武天皇が他戸親王の死後に精神疾患に罹ったと同じように、皇太子の安殿親王が精神疾患に罹ります。誦経なども効果がなく容態は悪化。

追い討ちをかけるように、今度は伊勢の神宮が放火され、内宮のご正殿や東西宝殿などが焼失するという、かなり不吉な事件が起こりました。

桓武天皇は自分同様、安殿親王に神宮に参宮させ病気平癒を期待しましたが、この時は聞き届けられず…

その後も早良親王の怨霊は勢いを増し
建設中の長岡京を暴風雨や洪水が襲い、呪われた都と化しました。

そして皇太子妃の藤原帯子たらしこが薨去。

桓武天皇は長岡京を放棄し、平安京へ遷都します。が、ここでも早良親王の怨霊が襲いかかることになるのでした。

ついに桓武天皇は、早良親王に「崇道天皇」の追号を贈り、お墓も山陵とし天皇陵と同格とし、名誉回復が図られました。

あ、ちなみに崇道天皇は皇位継承したことが無いため、歴代天皇には数えられていません。

数年後、死の床についた桓武天皇は崇道天皇の鎮魂に努め、70歳で崩御。

実はこの崩御の日に
東宮の寝殿の天井から血が滴り落ちる
という奇怪な現象が起きたことを「日本後紀」は伝えています。

最期まで早良親王の怨霊を恐れ、遺言にするほど気にしていた桓武天皇。
他戸親王から早良親王。
怨霊に翻弄された一生といえるでしょう。

そしてそれは皇子である平城天皇に引き継がれることになるのです。。。

お彼岸法要である「彼岸会」の起源は、この崇道天皇の霊魂を鎮めるためのものだったんです。

桓武天皇の遺言で、桓武天皇崩御の翌日から7日間、諸国の国分寺で怨霊を慰める法要が行われ、これがきっかけとなり春分の日と秋分の日の前後7日間、亡くなった人を供養するものに変化して定着したとされています。

ちなみにですが
桓武天皇が崩御したのは3月17日、春の彼岸入りの日ですね。




現在でも宮中では
春季皇霊祭・秋季皇霊祭
(歴代天皇の御霊を祀る行事)
が行われています。

また俗世において、人が亡くなると「仏(ほとけ)」と呼ばれ「神」とは呼びません。
ですが弔い上げ(三十三〜五十年)を済ませた仏は、歳月の経過と身内の供養により浄化されることにより神格性を持ち「神」となると考えられてきました。

そして神となったご先祖の霊魂は、その土地の神「産土神」と結びつき、私たちを見守る守護神・氏神となる、と信じられてきました。

このことから産土神信仰と祖先崇拝は、深い部分では一つなのです。


祖先の神々があってこそ生まれ出た自分

その自分もやがては祖先の神のもとへと帰っていく


日本人にとってご先祖は古代から、現代も変わらず心の支えとして近くに在り続けています。





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