今月の7月24日(日)に、私の所属する邪馬台国の会のZOOM講演会が開催されます
第401回 邪馬台国の会講演会
🍀講師 元産能大教授 安本美典
7月24日(日)13:30〜16:30
ZOOM講演会 参加費1200円
※今回もzoom講演会のみとなります。会員以外の方でも、どなたでもご参加いただけます
🍀第401会講演会 特別講演テーマ
『邪馬台国探求のための哲学と方法』
🍀講演内容の資料
講演内容の資料 別途PDF資料をダウンロード方式にて配信させていただきます。
🍀邪馬台国の会ホームページ
(過去の講演資料が豊富に掲載されています)
詳細・お問い合わせは、上記ホームページよりお願いいたします。
【お問い合わせ先】yamataikokunokai@gmail.com
古代史好きの方・ご興味がおありの方
この機会にぜひご参加くださいませ〜♬
そんなわけで今日は、邪馬台国の会の定期講演会をまとめたわたくしの過去記事から、一部を抜粋して安本美典先生の講座を、PRを兼ねてご紹介させていただきますね!
『鵜を抱く女』
岐阜県の長良川などで知られる鵜飼の歴史はとても古く、古事記や日本書紀の“神武天皇記”にも記述があります。
古事記によりますと、奈良県の吉野川の下流で、神武天皇軍が贄持(にえもつ)の子という国つ神と出会いますが、この贄持の子は鵜飼部の祖先とされています。
また神武天皇軍が詠んだ
「鵜飼で漁をする人々よ、助けに来て欲しい」
という歌もみられます。
さらに隋書の「倭国伝」に、日本の7世紀頃の鵜飼のことを記した記事があります。
「首に小さい輪をかけて、ひもをつけた鵜を水にもぐらせて、魚を捕らえさせる。一日に百余匹もとる。」
また8世紀成立の万葉集でも、鵜飼のことがかなり多く歌われています。
鵜が埋葬された遺跡も残っています。
1953年に、山口県下関市の「土井ヶ浜遺跡」から、総数300体を超える遺存状態良好な弥生人骨が発見されています。
それは壮年の女性人骨で、胸部から鳥(鵜)の骨が検出されたことから、鵜を抱いて埋葬されたものと考えられています。
土井ヶ浜一帯には現在でも鵜が群れていることから、この鵜が捕らえられたものなのか、鵜飼のために飼われていたものかは分かっていません。
鵜は水田稲作を行う集団にとって特別なトリとみなされていたようですね。
鵜の羽は安産のための霊的な力を持つということが『記・紀』のなかでも語られています。
ところで歴史人のこんな逸話も♪
平治の乱で源頼朝が義朝と敗走する時、義朝とはぐれて長良川河畔をさまよいますが、鵜飼の長である白明の家に宿り、そこで食した鮎鮨の美味しさに飢えを癒しました。
その後、頼朝が右大将として上洛する際、白明の子を呼び出して恩に報い、毎年鮎鮨を鎌倉に送るよう命じました。
時代は代わり戦国時代、斎藤氏を追放して美濃の国に入った織田信長は鵜匠を保護。武田信玄の使者に鵜飼を見せて接待し、信長自ら鮎を選んで土産として手渡したといわれています。
また大坂の陣の帰途に、岐阜へ逗留した徳川家康と秀忠親子が鵜飼を見物し、ご機嫌で鮎を食べたことで、江戸城には鮎が毎年献上されるようになったのだとか。
有名な長良川鵜飼、ぜひ一度見てみたいです!
そして鮎も食べたいです
いつか叶うといいな♡
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