先週土曜日は関裕二先生の新潮講座
『縄文から辿る日本の歴史』
〜第1回 縄文から考えるヤマト建国〜
でした✨
大好きな関先生やお友達の皆様のお変わりない元気なご様子を拝見して、とても嬉しかったです(^^)
遺伝子や弥生時代とは?のお話、抜歯や抜歯した歯の行方についてなどなど、今回も面白い内容が盛りだくさんでございました
関先生の資料に基づいて記事を書かせていただきます☆
このテーマは他の古代史勉強会でもよく取り上げられます。
学校で習った私の記憶による弥生時代は「稲作文化」で、渡来人により伝わり、早いスピードで全国に広がったというイメージです。
ですがこれはもはや通用しないのだとか。。。
九州のいくつかの縄文時代の遺跡から水田遺構や農機具が出土したり、近年導入された炭素14年代法により、弥生時代の期間が延びたことなどから、稲作はすでに縄文時代後期に九州に伝わっていて、ゆっくりと時間をかけて東へ伝わっていったことがわかっているそうです。
※炭素14年代法
放射性炭素 C14の半減期が約5700年という性格を利用して遺物の実年代を測る方法
稲作文化を受け入れた地域と、縄文生活を続けていた地域とが共存していた時代も長くあり、土器でいうなら弥生時代に縄文土器のリバイバルブーム?が起こったりと、行ったり来たりしていたようです。
これでは明確に
“ここから弥生時代です”
と線引きをするのは難しいですよね(^^;;
弥生時代はなかった
という学者さんもいらっしゃるそうですが、確かにそうとも言えるなぁと思いました。
あれ?
ということはヤマト建国も実は……⁇
講座の後は、今回は5人で神楽坂ランチ🍕
お店は「bongout」
☆関裕二先生ブログ
人気ブログランキング