天あめなるや 淤登多那婆多の 項うながせる
玉の御統みすまる 御統に あな玉はや
み谷 二わたらす 阿遅志貴高日子根の神ぞ
※淤登多那婆多=弟棚機
(訳)
天においでの織姫が
頚におかけになっている玉の首飾り
その首飾りの穴のあいた玉みたいに
光っていますよ
でも実は違うのですよあれは
谷二つを輝かせてお渡りになる
阿遅志貴高日子根の神なのですよ
「万葉集」にも七夕にまつわる歌が存在します。
織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長
(訳)
たなばたの 今夜あひなばつねのごと
明日をへだてて 年は長けむ
また七夕を表した最初の記載としては、日本書紀の持統天皇五年・七年のそれぞれ七月七日に「公卿に宴を賜う」という記載が見られます。
日本では雑令によって七月七日が節日と定められ、相撲御覧・七夕の詩賦・乞巧奠(きっこうてん)などが、奈良時代以降行われていました。
☆乞巧奠(きっこうてん)とは
女性だけで営まれるお祭りで
“巧みであることを乞う祭典”
“織女の手芸上達を願う祭”
という意味です。
女性たちが美しい衣装や装飾品を身につけ、庭に設けた台の上にお酒や餅などと一緒に自分が作った手芸品などを供えました。また宮中では清涼殿の東の庭に机を並べお供物をし、一晩中お香をたき灯明を捧げたといいます。
天皇は庭の椅子に出御して、牽牛と織女が会うことを祈ったそうです。
中国から様々な文化が入ってきた時代。
その一つである七夕も、日本古来の風習と見事に融合し、現在まで定着する行事となったんですね
ちなみにですが。。。
七夕の楽曲に「ごしきのた〜んざく〜」という歌詞がありますが、この短冊の五色は五行説の五色
緑・紅・黄・白・黒
をいいます。
またお盆や施餓鬼法要で用いられる仏教の五色の施餓鬼幡からの影響も強く受けています。
現在では好きなお願い事を短冊に書いて吊るしますが、元々は技芸上達を祈るお祭りで、短冊に書いてご利益のあるお願い事は芸事だとされたようです
何か技芸を極めたいとか上達したいという方は、今日はそちらのお願い事も良いかもしれませんね☆
それでは皆様、素敵な七夕をお過ごし下さい
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