ご祭神としてお祀りされているのはとても珍しく、全国では二社ほど、とお伝えしました
菟道稚郎子は大鷦鷯尊(仁徳天皇)の異母弟にあたる皇子で、父である応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられますが、兄の大鷦鷯尊と互いに皇位を譲り合い、自分がいたら兄は皇位を継げないと考えた菟道稚郎子は自ら命を断ったといわれます。あ、前鳥神社では菟道稚郎子命が相模国へやってきたというお話になっています。
そんな2人の兄弟について、日本書紀に面白い記述がございますので、今日はそちらをご紹介いたしますね♪
菟道稚郎子は
「私は兄王の志を奪うべきではない。長生きしたら天下を煩わすことになる」
と自害されました。
それを聞いた大鷦鷯尊(仁徳天皇)は驚き、難波から菟道宮にやって来られましたが、この時には菟道稚郎子が薨去されて3日が経っていました。
大鷦鷯尊は泣き叫び、髪を解いて遺骸にまたがり
「我が弟の皇子よ」
と3度その名を呼ばれました。
すると菟道稚郎子は息を吹き返し、自分で起き上がられました。
大鷦鷯尊は菟道稚郎子に
「悲しいことだ、残念なことだ。どうして自殺なさったのか。先帝(応神天皇)は私をどう思われるだろうか」
と仰ると、菟道稚郎子は兄王に
「これが天から与えられた寿命なのです。誰が留めることが出来るでしょう。もき父の応神天皇の御許に参ったら、兄王は聖人であり皇位を何度も譲られたことを詳しく申し上げます。そのうえ兄王は私が死んだと聞いて遠路を急いで駆けつけて来られました。どうして労わずにいられましょうか」
そして同母妹である八田皇女を進上し
「娶るには不足な妹でしょうが、後宮の一人に加えてやってください」
と仰るとまだ棺に伏して、とうとう薨去されました。
大鷦鷯尊は喪服をお召しになって悲しまれ、慟哭され、太子(菟道稚郎子)の遺骸を菟道の山の上に葬りまつられました。
この文中には
「髪を解いて遺骸にまたがり3度名を呼んだ」
という行為が書かれています。
これは遊離した死者の魂を呼び戻し、霊魂を体に鎮める「タマヨバイ」による招魂儀礼で、このような古代の霊魂感が人々の死生観に深く関わっていました。
霊魂を招き寄せるタマヨバイ(魂呼ばひ)は、相手の名を呼び続けること・名に象徴される相手の霊魂を乞い求めることを意味します。
当時は霊魂の遊離が病気や死の原因と考えられており、タマヨバイ(タマゴイ)をすることによって遊離した霊魂を呼び戻し、体に止めようとしたのだそう。
そして古代においての「名」は、そのものの実態を示すものとして霊魂の象徴と考えられました。
ちなみに。。。
男性が女性のもとに通うことを「ヨバイ」といいますすよね。それも相手の名を呼び続けるという意に由来します。
その死生観は現代の私たちの中に継承されています
☆個人鑑定も随時受付しております
☆毎週木曜日は占いサロン「青琴会」にいます
※毎週木曜日に出勤しておりますが、3月から毎月第3〜5火曜日も固定で入ることになりました!
人気ブログランキング