『歴史作家 関裕二先生と行く☆奈良・飛鳥の旅』
かつては飛鳥の四大寺に数えられ、日本初の写経が行われたという寺院をご紹介いたします
『川原寺 (仏陀山 弘福寺)』
真言宗豊山派寺院
ご本尊 十一面観音
創建 670年頃
開基 天智天皇
川原寺は
飛鳥寺(法興寺)・薬師寺・大官大寺(大安寺)
と並ぶ飛鳥の四大寺に数えられ、7世紀半ば天智天皇の時代に建立されました。
寺名の由来は、飛鳥川の河原に沿って建てられたところから、と伝わっていますが「日本書紀」には川原寺の創建に関する記述が見当たらないため、その創建には様々な説が生まれ
「謎の大寺」
とも言われています。
ですが当時の天皇家には数代にわたって重用され、673年には川原寺で日本初の写経が行われたと記録されています。
平城京遷都とともに他の三大寺(飛鳥寺・薬師寺・大官大寺)はその本拠を平城京へ移しましたが、川原寺は飛鳥の地に留まりました。
9世紀に入ると川原寺は弘法大師が朝廷より賜り、京都と高野山を往復する際に宿舎として使われていました。
平安時代最末期の建久2年(1191)の焼失後は歴史の表舞台から姿を消しますが、その法灯は真言宗豊山派弘福寺が受け継ぎ現在に至っています。
現在、本堂には十一面観音像をご本尊に、持国天(重要文化財)・多聞天・十二神将が安置されています。
☆弘法大師堂
現在の本堂は川原寺中金堂跡にあり、他に類例のない白大理石の柱石が28個残されています。
また、川原寺から出土する創建時の瓦は「複弁蓮花文瓦」と呼ばれる8枚の花びらのそれぞれを2つに分けた形式の複雑なデザインのもので、これが以後の瓦文様の主流となりました。
弘福寺前にある広大な川原寺跡地は国の史跡に指定されています。
昭和32〜35年にかけて行われた発掘調査で、川原寺の伽藍配置は他にあまり類を見ない『一塔二金堂式』であったことが判明し「川原寺式伽藍配置」と称されています。
北側の講堂の三方を僧坊がめぐり、その広さは東西詳細わからず(最低でも150m)、南北およそ300mを誇っていたことが分かっています。
これらの建物は後にことごとく失われ、レプリカの礎石のみが残っています。
この跡地から、いかに巨大な寺院であったかが想像できますね(^^)
☆御朱印
当時の大和朝廷の要人たちの熱い思いが込められている川原寺。この地は女性天皇である斉明天皇の仮宮「川原宮」のあった場所で、その上に川原寺が建てられています。
天智天皇とその弟といわれる天武天皇が、母である斉明天皇のために創建したのでしょうか。。。
645年に乙巳の変が起こります。
川原寺はその歴史の悲劇の舞台を見下ろす場所にあります。
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