先日の12月22日(土)は古代史勉強会でした
テーマは「饒速日にぎはやひ尊と銅鐸」第二弾
物部氏の祖である饒速日尊
今回はそのニギハヤヒに随行した32神の系統と銅鐸の変遷を中心にしたお話でした(^^)
ニギハヤヒの父親は、天照大御神(素盞嗚尊との誓約うけいにより生まれた)子である
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
まさやあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと
略して「天忍穂耳尊」で、天皇家の祖です。
ニギハヤヒの弟は、あの天孫降臨をした
瓊々杵尊ににぎのみこと
です。
あれ?
長子ではなく弟の方が天孫降臨したの?
と思われた方もいらっしゃると思いますが、古代史の世界では末子相続が当たり前で、長子は先に家を出ていくのが普通でした。
志村先生の話によれば、第15代応神天皇の時代に儒教が入ってきたことにより、日本も長子相続になっていったのだそうです。
ニギハヤヒに随行した32神の系統は
ニギハヤヒの子・孫(天忍穂耳尊の子孫)
高皇産霊たかみむすひ神の系統
神魂かみむすひ神の系統
中臣系統
天津彦根命の子孫
阿曇系統
の5系統に分かれます。
これを一つ一つ見ていくと、日本の神社や遺跡・銅鐸につながっていくんですね
銅鐸に関しては、最初は小さな複数の銅鐸を束ねた「佐那伎(サナギ)」と呼ばれるものを吊るして、祭祀の際に鈴のように鳴らしていたのではないかと推測されます。
次第に装飾も施され、最終的には巨大化していきました。
ニギハヤヒ(物部氏)=銅鐸
この銅鐸の分布を見ていくと
北部九州や出雲から近畿地方へと広がっていき、三河・遠江地域で消滅します。
ですが何故か長野の塩尻にある大宮神社から銅鐸が一つだけ出土しており「柴宮銅鐸」と呼ばれています。銅鐸出土圏外と思われていた長野で出土し、大変話題となったそうです。
それより以北からは銅鐸は出土していないそうです。ですが長野の例もありますから、万が一出土したら氏族という面から見てもとても面白いですよね♬
勉強会の後は古代史会メンバーさんたちと
キックオフパーティー
テーマが「藤原不比等」ということで大人気!
急きょ大部屋に変更されたそうです
古代史会で勉強させていただくようになって、はや4年目今年は古代史会でプレゼンターという経験もさせていただき、充実した一年でした
来年も楽しく学んでいけたらと思います
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