『通りゃんせ』
作詞者不明
作曲者 本居長世
または野口雨情とされる
この歌詞には怖ーい意味が隠されている
ということはご存知の方も多いのではないでしょうか(^^)
それでは具体的にどう怖いのか
について書いていきたいと思います♪
ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ
ちっと通してくだしゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の7つのお祝いに
お札を納めにまいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
江戸時代によく起こったと言われる
「神隠し」
神隠しとは、人間がある日忽然と消える現象で、神域である山や森で行方不明になったり、街や里からなんの前触れもなく失踪することを、神の仕業としてとらえた概念で、天狗隠しともいいます。
子どもが7歳まで生きられるのは難しかった時代、赤ん坊が生まれた直後、氏神のお札などを神棚に祀り、7歳までの守り神としていたそうです。
神隠しに遭うのは子どもが多かったとか…
7歳までは子どもは神様のものだから
いつでも連れて帰られてしまう
通りゃんせでは、子どもの7歳のお祝いに天神様にお札を納めにいく、というお祝いの歌のようですが、なぜ「帰りはこわい」のか⁇
じつはこの言葉は“神隠し”の本当の意味を語っているのです。。。
昔の日本はとても貧しく、産んだ子どもを育てられませんでした。
そこで親は七五三のお参りでお宮に子どもを連れてきて、ひっそりと神様にお返ししたのだとか。
神様にお返しするお宮が、怨霊とされていた菅原道真公、つまり“天神様”というのもわかる気がします。
神隠しは“間引き”の隠語。
親が良心の呵責に耐えきれず
神様や天狗がさらっていった
と思い込むことから生まれました、
昔の子どもの神隠しのほとんどは
神様にお返しした
人さらいにさらわれた
川などに落ち人知れず亡くなった
かのいずれかだったといいます。
「かごめかごめ」
などにも同じ意味が隠されています。
昔の日本には、不思議な習わしがたくさん残っていました。
その集落以外に絶対知られてはいけない
ことも行われていたようです。
今日のお話、ご存知の方も、知らずに衝撃を受けた方もいらっしゃると思いますが、残念ながら事実と思われます。
しかしこれも1つの日本の歴史。
時代は違えど同じ日本人として、その辛い時代を受け止めたい、という風に思い、このお話を描いた次第です
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