御穂鹿嶋神社 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

昨日は三田で、古代史の講演会がありました

講演会の前に、田町に鎮座するこちらの神社さんを参拝

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『御穂みほ鹿嶋神社』

ご祭神
藤原(萬里小路)藤房卿
武甕槌命

御穂鹿嶋神社は、元々はそれぞれ「御穂神社」と「鹿嶋神社」という別の神社でしたが、社殿の老朽化と付近の再開発事業により合祀されることになり、平成16年に御穂鹿嶋神社と改称されました。その後、旧鹿嶋神社の社地に新社殿が造営され、平成18年に遷座しました。

御穂神社に祀られる藤原藤房卿は、後醍醐天皇の側近で、元弘の変には笠置山に随従、後に捕らえられて常陸に流されました。

建武の中興後に京へ戻りますが、論功行賞の不公平を後醍醐帝に諫言、それが入れられなかったために隠棲、そのまま行方不明となり、その後の足跡にはさまざまな説のある人物なのだそうです。

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〈御穂神社のご由緒〉
室町時代の大永5年(1525)に鎮座したと伝えられます。

後村上天皇の頃、ひとりの老人が都からこの地に至り庵を結びました。当時の芝浜の地は、戸数幾ばくもない小さな漁村だったため、村民に忠孝の義を教え導いたとされます。

その老人が藤原藤房卿(萬里小路藤房)であり、藤房卿の亡きあと、その高徳を慕って庵跡に宮所が設けられ、祭祀が続けられてきたと伝えられています。


〈鹿嶋神社のご由緒〉
その昔、沖より芝浜に流れ着いた神殿がありました。波達海の中にあって、神殿の中に納められていた幣帛は少しも濡れることがなかったといいます。

日を経て、常陸の国の人が神殿を探し求めて尋ねてきました。これは鹿嶋に鎮座するお社であるとして舟につないで漕ぎ帰りました。ところがこの神殿は再び芝浜の地に流れつき
「この浦に鎮まり坐すべし」
との神託があったことから、この地でお祀りされるようになりました。


☆稲荷社・天満宮・住吉社
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☆手水舎
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☆力石
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☆芝浜囃子の碑
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寄席文字を復興させた橘右近によるものです。


☆ご朱印
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都会の中にひっそりと佇む素敵な神社さんでした

諏訪大社へ参拝し、記事を全て書き終えて以来、諏訪大社ロスで(笑)

どこにも行けてなかったので、久しぶりに都内の神社へお参りできて嬉しかったです!

この日ご一緒した古代史会メンバーさんたちとも、みんなでどこかの神社ツアーへ参加しよう♪という話になり、今からとても楽しみです

今度はどこへ行くことになるのかな〜



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