過去数年、利益が増加傾向の会社オーナー(要するに、まあ儲かっている)は、

ご自身の会社の貸借対照表(BS)を見てみると、繰越利益剰余金という項目が

貸借対照表のうちの、純資産の部の中の「株主資本」にあるのがわかります。

株主資本の中には「資本金」「資本剰余金」「利益剰余金」「自己株式」という

区分があり、このうち繰越利益剰余金が含まれるのは「利益剰余金」です。

 

さて、以前勤務していた会社の役員でも「繰越利益剰余金」について全く理解が

できていなくて、呆れた「事件」がありましたので、お知らせしておきます。

儲かっている会社オーナーの中には、必死に節税、節税と走り回る方も多く

我々、税理士もその企業の個別の状況に応じた節税に関する知恵を絞り、

税負担の軽減のための最適な提案を行うことが要求されています。

 

ですが、役員報酬を増加させたり、資産を購入したり、やたら生命保険に加入

したりすることは、個人的にはお勧めしないというのが私の持論です。

役員報酬で受け取れば、結局、累進課税の所得税の税率が高くなり、さらには

社会保険料の負担もかなりのものになってしまいます。これはとても怖い。

 

資産の購入も減価償却できるから(経費かできて資産に残るから)積極的に行う?

私はそうは思いません。最低限必要なもの以外、資産を購入すればキャッシュが

少なくなります。最も重要なのは手元のキャッシュであるというのが私の考え。

 

生命保険で損金にして保険料を支払う?

いやいや、私は長く保険会社に勤務しており生命保険の商品構造を嫌というほど

理解しています。生命保険の手数料率の高さは、驚くべきほど高いものです。

そして保険業界の利益構造、儲かり方は半端ない、社員の給与水準バカ高い。

 

法人で儲けた利益は法人で課税を受け、一定程度は内部留保という形で会社に残す。

ある程度は繰越利益剰余金として蓄積することを検討することが必要と考えています。

 

そこで、この繰越利益剰余金ですが、これは内部留保といっても預金であったり、

固定資産であったり、留保される資産の種類はいろいろです。

そして、これは自由に使うことはできず、個人へ資産移転する場合には配当として

課税されることになります。ですから、BSに繰越利益剰余金があるからといって、

その金額を預金から直接引き出して使うことなんてできないのです。

 

ここで過去の呆れた事件についてですが、その子会社のBSには親会社からの仕事で

長年、蓄積した利益を繰越利益剰余金として多額にかかえていたのですが、それを

見たある役員が「こんなに金があるのだから従業員にボーナスで支払おう」と言い

出しました。

 

この発言はまったく訳わからない話で会社役員の知性として恥ずかしい話なので、

経理部長として説明をしたのですが、逆ギレされ迷惑を被った次第です。

(利益剰余金を減少させるためPLで赤字にすることも子会社では実態として困難)

 

さて、オーナー企業の社長の方々、法人税、所得税、相続税、そして役員報酬や

事前確定届け出給与(役員賞与)、退職金、各種の節税策、これからを総合的に

勘案して、企業の決算対策は将来を見据えバランスを考え検討する必要があります。

 

すぐ節税、節税と安易に手を出すことは短絡的です。(必ずやるべき節税もあります)

その前に、企業にとっての財務戦略とは何か?を真剣に考えておくべきです。

そして、相談する相手は、信頼のできる本物の「税理士」か確認してみましょう。

オーナー経営者から企業への貸付金(逆に企業側からみると役員借入金)は、

オーナー会社である中小企業の決算書にはつきものの勘定科目です。

一般に、決算書に役員貸付金があるのは融資に問題があるが、役員借入金は

問題がないといった考え方、風潮がありますが、そんなことはありません。

私は事前の対策が必要と考えています。

1.役員借入金

 役員が使った経費や支出を安易に役員借入金としているのは問題です。

 なぜなら、経営者に相続が発生した場合には、その役員借入金は相続財産に

 なってしまいます。そうなると、相続人は、勝手に積みあがっていった

(=安易に役員借入金に仕訳していた経理処理によって積みあがっていった)

 役員借入金に対して相続税を負担しなければならないことになります。

 

2.債権放棄と債務免除益

 個人から見て役員貸付金がある場合、会社の資金繰りから考えて、貸付金の

 返済を受けることが困難だと判断した場合には債権放棄をすることができます。

 債権放棄をすると会社は債務免除益(雑収入)を計上する必要が生じます。

 その場合、その債務免除益には法人税等の負担が発生することになりますが、

 実は、当期に損失が見込まれる場合や繰越欠損金がある場合には、相殺する

 ことが可能です。中小企業の法人税申告書をみていると相当な割合で繰越欠損金

 が積みあがっている場合があります。

 法人税法上、繰越欠損金は10年間の繰越ができるのですが、積み上げたままに

 しておかないで欠損金の期限を確認して、期限前に役員借入金との相殺をすること

 が合理的な節税に繋がると考えています。この点、顧問税理士も放置している

 ケースが多いというのが実感です。

 

 毎期の決算書、法人税申告書を確認するときには、繰越欠損金の時期と金額、

 そして、役員借入金の残高を確認し、欠損金の範囲内で債権放棄をすることで

 相続税の際に問題にならぬよう顧問税理士と相談のうえ準備しておきましょう。

 

 

オーナー企業の役員報酬に続いて退職金との相関関係について考えてみます。

役員報酬を決定するときには、遠く退職金も見据えて最適なバランスを検討

することをお勧めします。

1.役員報酬の税金

 役員報酬にかかる所得税は、普通のサラリーマンと同じ給与所得として

 総合課税、税率は累進課税となります。そのため、毎月支給の役員報酬には

 他の所得と合算して最大55%の所得税、住民税がかかってしまいます。

 少し利益がでた場合の節税策として役員報酬を増やすのはお勧めできません。

 

2.退職金の税金

 退職金は退職所得控除があり、分離課税であり、税制優遇の措置があることから、

 役員報酬と比較するとかなり低い税負担となります。オーナー経営者の資産形成には

 役員退職金を長期計画として検討しましょう。

 

3.退職金の限度額

 ただし、退職金が法人税法上で損金経理として認められる金額は以下の通りです。

 損金算入限度額=最終報酬月額×勤続年数×功績倍率(3.0程度)

 つまり、役員報酬が高く、勤続年数も長ければ、当然に退職金も多く支給できる

 ことになります。

 

このことから、以下の点を検討して顧問税理士と直接相談しながらスケジューリング

を行っておいた方がベターです。事前に最適なバランス計画をすることで相当な額の

節税を実現することができます。

・退職の時期、退職金の金額(欲しい金額)、役員報酬の金額、事業収益の予測

オーナー経営者の役員報酬の決め方にはポイントがあります。

特に、新たに会社を設立した方からの照会のある確率は、ほぼ100%です。

しかし、会社設立して10年以上経過していても、その決め方に無頓着な方

もいてとても残念な(経営的にはもったいない)ことです。

1.定期同額給与(役員報酬)の金額

 原則は、年に1回しか変更できません。

 それは、役員報酬が利益調整に使われないよう一定額と決められていて、

 金額を変更して支払うこと自体はできますが、その場合には損金経理が

 できなくなってしまいます。

 

2.事前確定届出給与(役員賞与)

 役員には賞与は出せないと勘違いしている方もいますが、事前に税務署に届出を

 したうえで、その金額、支払日通りに支払った場合は損金経理が可能です。

 

3.役員賞与の活用

 役員賞与を活用した社会保険料削減スキームが一部横行?しています。

 これは、社会保険料の上限規定という仕組みを逆手にとった削減スキームです。

 毎月の役員報酬を極端に少なくしたうえで、役員賞与で年間の報酬のつじつまを

 あわせます。そうすると社会保険料の削減ができて、年間100万円以上も節約?

 することが合法的に可能です。

 ただし、デメリットもいくつかありますが、そこの説明をしていない税理士も

 いるのでやっかいです。たとえば、以下のようなデメリットもあります。

・社会保険料の支払いが少ないので将来の厚生年金の受取額が当然に少なくなる。

・毎月の月額報酬が少ないので、万が一の際の傷病給付金の受取額が少なくなる。

・税法上の大きなメリットを期待できる役員退職金の支給限度額が少なくなってしまう。

(役員退職金は、役員報酬月額に連動した税法上の限度額が決められているためです)

・生活費に余裕がないと役員貸付金が増加して決算書の見栄えが悪くなり融資に影響する。

・予測通りの事前届出額が支給できないと逆効果となってしまう可能性がある。

いずれにしても、オーナー経営者は、売上予測、法人税、所得税、社会保険料、退職金

相続税などを勘案して決定する必要がありますので、しっかり税理士と直接相談しながら

決める必要があります。

真剣に取り組んだプロジェクトが成功したとき、待望の試験に合格したとき、

恋に破れたとき、気分が落ち込んだとき、世の中の不条理、理不尽なことなど、

何かイベントが起こり、心がざわつくたび、車を飛ばして訪れる場所がある。

 

玉川から第三京浜を経由して、みなとみらい、山下公園を左手に通り抜け、

さらに進むと、エキゾチックな雰囲気が広がる本牧埠頭の突端に位置するのが

横浜シンボルタワー公園だ。周囲を濃く碧い海に囲まれた非日常空間が広がり、

意識が解き放たれる。埠頭を渡る潮風を感じながら、行き交う外国航路の

コンテナ船をぼんやりと眺める。

 

しばらく、爽やかな潮風に洗われた後、再び車を走らせる。次は、本牧から

磯子、金沢八景、追浜と海岸沿いの街道を南下し、いくつかのトンネルを

くぐり抜ける。田浦、逸見、汐入、そして横須賀。

 

横須賀は、涙が溢れるほど深い思い入れのある街だ。右手にはドブ板通り、

このあたりから英語の看板や標識、そして外国人が多く目に付いてくる。

さらに進んでいく、目的地は東京湾の玄関口に位置する観音崎京急ホテルだ。

 

眼前の浦賀水道を通過する大型コンテナ船をラウンジのソファーから観察する。

荒波や潮の流れなど気にせず、自らの確固たる意志を持っているかのように、

ゆっくり、堂々と、その凛とした巨大な塊が目の前にせまる迫力に圧倒される。

 

元々、色彩豊かで個性的なロゴデザインの多国籍コンテナは、長い年月を経て

錆びて色褪せて、くたびれた外観をしている。だが、それは会社の中で、滑稽

なほどの上司への忖度や同調圧力の中でずる賢く棲む生き物が、ただひたすら

オジサン化に邁進していく様子とは違う。

 

僕にとってのコンテナ船は、いまだけ居心地が良いコンフォートゾーンという

幻想に安住せずに、外洋の未知の世界へ向け、それが永遠に続くのではないか

と思われるほどにチャレンジを続ける意志ある佇まい、それは希望の象徴だ。

 

そんな勝手な妄想を膨らませる一杯の珈琲の時間、僕はより客観的な視点から

自分を見つめ直し、自己という存在に対する認識の精度を上げることに集中する。

そして、自らの内に存在する「限界」という思い込み、無意識に支配された壁を

打ち破り、自らの無限の可能性への渇望を新たな力に変えてゆくのだ。

 

■横浜(シンボルタワー公園)

 

■大型コンテナ船

観音崎京急ホテル

ダイバーシティの推進

 

午後の時間。いくつかの書類にサインする。社内の書類に印鑑を使用することは無く、
シティバンクの銀行口座と同じように自筆のサイン。そのため、印鑑を少し斜めに
押したことで説教されるくだらないシーンは見られない。そればかりか指定の枠
なんてものもない。書類の右上、右下、左下とテキトーな箇所に各自がサインする。
今日はNYとの四半期レビューのため、向こうが朝になるのを待って22:30からの
開始予定だ。
 
22:15会議室へ。関連部のスタンレーがポケットマネーでクッキーとチョコレート、
コーラをテーブルにザラっと差し入れてくれた。それをシェアしながら事前打ち合わせ。
こういう時、それもチョコをチョイスしてくれるセンスが嬉しい。スタンレーは職業
ダイバーをしていたナイスガイ。だが、長く水圧に耐えていたためか生気の抜けた
廃人の風貌。後に一念発起、ウォートンでファイナンスMBAを取得。ヘッジファンド
からシティに転職、ひときわ異彩を放つオーストラリア人だ。頭の回転が速く、
機関銃のように早口でまくし立て明快なロジックを伴った自己の考えを豪快に展開する。
シティ社員の8割以上は中途採用で前職がバンカーでない者も多い。人種、性別、
国籍など多様な価値観とバックグラウンドを巧みに組み合わせ活用する組織だ。
 
会議や打合せの大きな特徴は、参加者全員が開始の前に明確なアジェンダを持ち、
各人の意見をはっきりとぶつけ合うという議論のスタイルにある。単なる情報共有や
課題に対しどうしていくか考える会議ではなく、各人が自らの結論を事前に明確に
したうえで、自分の考えとその正当性を根拠を示しながら論理的に説明し、
それぞれの考える正義を衝突させる。ファクトの乏しい思いつき、横並び、前例踏襲
の発言は嘲笑の的だ。
 
そして、相手に合わせたり、相手の気持ちを害さないように伝え方に苦心するという
ことよりも、正面から反対の意見を述べる。それが決して相手を否定するのではなく、
単に意見の違いであり、良い解を導くため、それが組織の持続的成長に必要であると
各人が強く認識し「受容」しているのだ。業務に関する指摘や反論を自分対する
批判と受け取ってしまうのは、単に精神の未熟さをさらけ出している、
ということなのだろう。
 
会議が始まる。その強烈な個性を放った者どうしの格闘だ。批判を恐れず、既成概念
という鎖を引きちぎる。ファクトをベースとしたバリューの追求、そして何より
プロフィットに執着する姿勢が徹底していて容赦ない。だが、ロジカル思考は自己正当化
を加速させる欠点をあわせ持つ。それゆえ、極端なプロフィット至上主義のような気もするが、
これも仕事に対するプリンシプルの問題だろう。この資本主義システムの違いといえる現実は
現代の奴隷のごとく「強制的に受容」するしかない。
 
突然、Arao-san, $※△○×□#×△・・・? 私に対する質問だ!極度に神経を集中させる。
事実と意見を厳格に見極め、反射的に反応する速度が成否を決するのだ。”No problem”と
時間をかせぎ切り抜ける・・・
おわりに...
自らの想像力の射程を広げ、「多様性」を理解し、「受容する」ことがダイバーシティ
実践のキーポイント。それは、自分と異なる考え方を一旦受け入れることで発展的な
議論が進み、組織の活性化につながるからだ。
 
だが、「自分の考えはごく普通で正しい」と思い込んでしまう感覚ほど利己的で恐ろしい
ものはないのに、人は自身の経験に固執しがちだ。健全な危機感を持ち謙虚に自分の考えや
態度の傲慢さに気づくのは難しい。だからこそ、ダイバーシティ推進の本質は、他者への
共感力を磨き、認め合う関係を作ることに尽きるのだ。

 

ダイバーシティの推進

 
では、シティのオフィスにタイムスリップ。
ダイバーシティの推進について考えてみる。はるか昔の記憶にさかのぼる...
潮の香りが微かに漂う天王洲アイルの駅を降り、シティグループセンターに出勤。
ロビーに置かれた黒のレザーのソファーやアンティークな調度品がちょっとした
ホテルを連想させる。オフィスの15階上がり、まずメールをチェック。
ばらくしてトイレへ。すると隣に身長2mを優に超える屈強な体躯の黒人が立つ。
クセのある特有の体臭と強烈な威圧感。チラチラとこちらをうかがう気配・・・
” Hi, How's it going ?"
 
反射的に身構える。あなたのこと知らないけど・・・ゲイ?いや、欧米でゲイは
一般的に受容されている。だが、私は、中嶋さんのチャームポイントのプリッ
としたお尻にもソソられないし、岩本さんの育ちの良さそうな大衆受けする
危険な笑顔の誘惑も拒絶する。受容するには拷問の苦痛が伴う。
むしろ、男に恋心を抱く男性に”不潔”や”変態” という感情を抱いてしまう自分は
「多様性の受容」という点で明らかに失格だ。
これを読んであなたがゲイだったら本当にゴメンナサイ !?)
” Good " と笑顔で逃げ去る。
 
同僚のアイリーンは30代女性、スタンフォードで統計学を専攻、MBAを取得した
才媛だ。彼女が重回帰や多変量解析を駆使し必要とされる要素をディテールまで
周到に構成し作成したドキュメントは卓越している。巧みなグラデーションを
施した濃いブラウンのシャドウで眼元を魅惑的に際立たせ、時おり見せる怜悧さを
合わせ持つシャープな表情と同様、魅力的と言える出来ばえだ。
 
上司のアンディの個室はガラス張り。話し声は外に漏れてこない。しかし室内の
様子は外からも確認できる。アイリーンがアンディの部屋で打ち合せをしている
のが見える。その光景に思わず見入ってしまう。彼女は、アンディのデスクの隅に
軽く腰かけ、高いヒールの片方だけをフロアーについた優美な姿勢で話をしている。
タイトスカートのスリットから露出した、量感のある太腿のシルエットが艶かしい。
だがアンディは、そのアイリーンの日系企業では否定されるであろう態度を特に
とがめる様子はない。自然に「受容」している。
 
アイリーンはシングルマザーなので毎日必ず定時に退社する。その離婚の原因は、
なんと元夫が "バイ" で(※バイセクシュアルが一般的な地位を確立しているかは不明)、
その元夫から、「新しくできた ”彼氏” と一緒に暮らすので別れて欲しいと言われて離婚した」
と彼女は笑い飛ばした。元"夫"は男と浮気したわけだ。天王洲のT.Y.HARBORで心地よい
海風に吹かれて彼女とランチをしたとき、この打ち明け話を聞きながら、その状況を
正しく理解していく過程で私の心は複雑に揺れた。いくら想像力の射程を広げても、
バイという性質の人々の気持ちを理解して「多様性を受容」するのは克服の難しい問題だ。
ランチタイム。最上階のカフェテリアに上がると眼下には東京湾を行き交う多くの貨物船、
対岸にはお台場、フジテレビの特徴的な建物が視界に入る。サラダバーに人が群がっている。
白人の大男がソフトクリーム機から自分でクルクル盛り付けている姿が可愛い。
ロビーのソファで大画面テレビの大リーグ中継を見ながらハンバーガーとポテトを
頬ばっている白人もいる。まるで異国に迷い込んでしまったように錯覚する。
 
おっ、あの浅黒い肌の3人組はナニジン?だろう。黒人とは違う微妙な黒の肌の色。
そして、システム部門に多く見かける民族は・・・インド人だ。いまやインドは
IT産業の分野において世界を席巻、世界のシステム関連部門への人材供給元である
ことは周知の通り。
 
何やらテーブルにタッパーを2つ取り出した。いったい何?蓋を開けると、
青のタッパーの中には真っ白なご飯だけが。そして赤のタッパーには・・・カレーだ!
家から持参のMyカレーだ!日本家庭のカレーとは明らかに異なる独特の香辛料を使った
深みのある香りが漂い鼻孔を刺激する。そして、白いご飯とカレーを交互につまみ、
指先を使って混ぜ合わせながら器用に口に運んでいく。やはり不浄の左手は使わない。
 
「カレーって、スプーンを使った方が綺麗だし食べやすくないの?」と考えるのも
「お弁当にカレーなの?」と考えるのも大きなお世話。スプーン強要はパワハラだろう。
インド人からすれば、「ご飯を丸めて黒い紙(海苔)巻いて持ってくるか?」
「日本人って、気色の悪い人種だ」といった視点で反論されるのだろうか。
またもや自分の経験した狭い世界の思考から逃れられない。「多様性の受容」は、
簡単そうで実は難しい。
 
考えてみれば、インドの人口は世界2位で日本の約10倍(13億人)に達する。もし、
インドと日本が合同で「カレーの正しい食べ方」を決める決議をすれば、圧倒的多数で
「カレーは右手で食べなければならない法」成立するだろう。スプーンで食べたら死刑だ。
つまりは、多い方の考えが正しいことになってしまうだけ。こう考えても、世の中には
絶対に正しいこと」なんてない。わが国は多数派の意見を是とする民主主義の正当性
について自己否定すると同時に、マイノリティとしての意見も「受容」してくれと
哀願しなければ。
 

ダイバーシティとは

 

外見上の違いや内面的な違いにかかわらず、すべての人が各自の持てる能力を
フルに発揮して、組織に貢献できる環境を作ること。もう少し詳しくすると、
人は人種、性別、年齢、身体障害の有無などの外的な違いだけでなく、価値観、
宗教、生き方、考え方、性格、態度、などの内面も異なり、バックグラウンド
多様。そのため、こうすべきといった画一的な型にはめることを強要せずに、
自分とは異なる個性を認めることで、その個性を活かした能力の発揮ができ、
正当な評価を受けられる組織風土をつくる。これは個人にも組織にとっても
大きなプラスになる、という考え方。
 
調べてみると、ダイバーシティは一般的に「多様性」または「人材の多様化」
と翻訳されているが、英語の”Diversity" は、”Diversity & Inclusion" を省略
したもので、本来は「多様性とその受容」意味するもの。そこで、後半の
「受容」という点に着目してみると、実はダイバーシティを実践することで
最もハードルの高いテーマは、「受容」という点ではないだろうか?
 
そもそも、人間の思考や判断基準はその個人の限られた経験によって形成され、
その経験の呪縛から逃れることは相当に大変なこと。すなわち、自分の常識を
世界の常識と考えてしまい、異なる考えや価値観を受け入れることは簡単な
ことではない。自分の考えが正しいと思い込み、自分の価値観を押し付けて
しまいがち。
 
それならば、ダイバーシティの推進を単に「女性の活躍推進」や「人材の多様化」
と表面的にとらえているだけでは十分とは言えない。まず、最大の難関は、
各人が自らが存在してきた経験や環境から離れた状態に想像力を働かせ
「多様性」を認識すること。次に、それを「受容」すること。
このことが最も基本的かつ大切なポイントであることを強く意識することが
要求されているのだろう。
 
要するに、男は男としての経験から物事を考える基準が作られており、女性が
大切だと考えている「価値」を理解できないし、理解できていないことすら
気づいていない。一方、女性も男の身勝手な態度や一方的な考え受け入れる
ことができないと、そのうち ” キ~!! " と爆発し、やがて恋は破綻に向かう
ことになるのだ。
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出会いの魔法

昨日の出来事。
新宿に行くため、三鷹で中央特快に乗りかえた。
ドアの横に立ち、外の景色を眺めているとすぐに、

Excuse me! (これから後は日本語で記載)

振り向いてみると、
そこには30歳前後と思われるが、
カラフルな上着をまとったスレンダーな女性が、
スマホを持ちながら緊迫した表情で立っていた。
限りなく赤に近い色のルージュにパープルの
アイラインを濃く引いている。好みだ。

傍らには、小学校低学年くらいの男の子が
上着の裾を握りしめながら寄り添っている。
意思の強そうな女性らしい眼と顔のつくりから推察すると、
韓国系?と勝手に想像を膨らませる。
 
そして、スマホを見せながら、
少し早口な英語で僕に話しかけてきた。

女性:「この電車は新宿にいきますか?」
僕 :「はい、いきますよ」
女性:「あーよかった!」
 
そして、手に持ったチケットを見せながら、
女性:「成田空港行の、この電車に間に合いますか?」
 
その受け取ったチケットを見てみると、
そのJR成田エクスプレスのチケットには、
新宿 16:40発と記載されている。
 
自分の腕時計を見ると、16:20を過ぎていた。
そして、電車のドアの上に表示されている時計と
自分の腕時計、そしてチケットの出発時刻を
クルクルと何度も見返して確認してみる。
 
この電車は東京行の中央特快だから新宿までの
所要時間はあと15分程度、出発時刻までは20分。
何とか間に合うはず・・・
僕:「OK, No Problem」間に合いますよ!
 
何度も時計を交互に見直し確認する僕の姿を見て、
彼女も次第に不安になってきたようだ。
 
彼女:「新宿では、同じホームで大丈夫ですか?」
僕: 「いえいえ、新宿は大きなターミナル駅だから
    別のホームに乗り換えないと・・・・・」
彼女:「乗り換えにどのくらいかかりますか?」
僕: 「大きな駅だから5分くらいはかかるかも」
彼女:「もし、この電車を逃がしてしまったら・・・」
   「上ですか?下ですか?何番線ですか?」
とスマホで新宿駅の構内図を示しながら僕に確認を求める。
 
僕: 「大丈夫、問題ない」
   「You can go with me!」
 
すると彼女の顔が花が咲くように明るく華やいだ。
彼女:「本当ですか!ありがとう!助かります!」
    「新宿で降りるのですね!」
 
その後、新宿までの15分間、彼女と僕は、
しばらく会話を交わしてお互いを確認し合った。
 
僕: 「旅行ですか?どちらからですか?」
彼女:「私、韓国系の中国人です。上海から来ました」
   「上海には行ったことありますか?」
僕: 「いや、まだないです。一度は行ってみたいな~」
   「日本に来て、何を見たのですか?」
彼女:「○×△○×△○○□×□○・・・」聞き取れない。
   「上海では、夫が空港まで迎えに来ています」
 
上海はどんなところなんだろう?東京より都会かな?
などと他愛もない会話をしていると、窓の向こうに
新宿西口の高層ビル群がみえてきた。
 
僕: 「あれが新宿の高層ビル、僕はあそこで働いているんだ」
彼女:「きれい。上海にも高層ビルたくさんあります」
 
まもなく、新宿駅に到着。16:33分だ。
ホームに降りると成田エクスプレスのホームへ
向かって小走りに移動する。僕の後を彼女と息子が
遅れまいとついてくる。

案内ボードを見ると、16:40発の成田エクスプレスは
6番線から発車の表示があった。この移動中は会話なく
ひたすら目的の6番線に向かってエスカレータを上がる。
 
あった。電車がホームに停車している。
僕: 「あれあれ!あの電車!Platform No.6」
 
すると彼女がショルダーバックの中をガサゴソ。
すると何かを取り出して僕に差し出す。
 
僕: 「いいからいいから。大丈夫だから・・・・・」
彼女:「ありがとう。お願い!受け取って!」と叫ぶ。
 
やり取りしている時間はない。電車が出発してしまう。
僕はその何か薄茶色のお菓子のようなものを受け取った。
そして、彼女は手を振りながら再び「ありがとう!」と言って
息子の手を引き、電車に乗っていった。
僕は、その電車が見えなくなるまで見送った。

勘違いしないで欲しい。
人に親切にすることはいいことだとか、
困っている人を助けるべきだといったような
世のため人のためなんてことを言いたいのではない。
 
伝えたかったことは、
このわずか20分間の奇跡的な短い出会いのおかげで
僕自身がとても幸せな気持ちになれたということだ。

たったこれだけの出会いによって、
まるで僕の内部で何か魔法のような化学反応が起こり、
極めて満足度が高いといえる癒しを感じたということ。
人を愛することでも化学反応が起こり、幸福感が得られる。
だが、こんなわずかな出会いでも化学反応が起こり、
幸福感を味わえることができるのだ。
新たな出会いには価値がある。

18:00を過ぎると、
「そろそろ成田に着いた頃だな・・・・・」
「2人で食事でもしているのかな・・・・」と考える。

19:30を過ぎたころには、
「そろそろフライトの時間だな・・・・・」

22:00頃には、
「そろそろ上海に着くころか・・・・・」

そのあとも、しばしば彼女の表情とやり取りを思い出す。
そのたびに、まるでJAZZの流れるBarでゆったりと
落ち着いた雰囲気に包まれたような気分に浸る。
あるいはリゾート地でリラックスした時のような気分だ。
身体も自然に健康になったような気がしてくる。

そして、彼女の乗った電車が見えなくなるまで見送った後、
手を開いてみると、僕が手に握っていたのは、
この写真のマグネットだった。
そう、猫バス、僕は彼女にとっての猫バスだったのだ。

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アカウンタビリティ

実は、とにかく知的な刺激に飢えていて、
頻繁に企業セミナーに参加している。
先日、○○○証券と○○○監査法人が協賛となり
開催していた Innovation Field 2017 という
セミナーに参加してみた。
 
開催場所は・・・
六本木ヒルズ、
森タワー高層階(49F)のアカデミーヒルズ。
街ですれ違う人々がみんな麗しく見えるのは幻想か・・・
ヒルズ、そして都会の快晴の冬空の下、
気分はすこぶる良い。
ラウンジから見下ろす東京の景色は圧巻。
東京湾から千葉まで。
高層のタワービルディングは湾岸側に多くそびえ
建っているのがわかる。
 
セミナーでは、日産自動車取締役の志賀さんや
IBM取締役でクラウド事業本部長の三澤さんの講演から始まり、
その深く洞察のある内容もさることながら、
堂々たる話しぶりにはとても感銘を受けた。
自信に満ちた態度や表情で人前で話す。
今度から真似してみよ。
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さて、午後の最後のセミナーは、
「AIと金融・株式市場」という、
○○○証券と○○大学の共同セッションに
参加したあとの私自身の気づき。
 
セッション内容は、
近年、急速な広がりを見せるFintech、
特に、先端的技術が駆使される株式・金融市場に
焦点を当て、AIを活用した取引や非伝統的手段による
データの活用などの最新事例を紹介しつつ
課題や今後の見通しについて多角的な視点から
討論を行うというもの。
 
その中では、
「株式会社お金のデザイン」という会社の事業内容が、
今後の資産運用サービスや金融のあり方を変えて
いくかもしれない可能性を感じて興味をそそられた。
 
そして、この会社を調べてみると、
取締役会長が谷家衛さん!ライフネット生命の創業にも
かかわった人じゃないですか!
以前から、ビジネスモデルを変えるほどの新規事業を
発掘して挑戦する鋭く目利きの利く起業家だな~と思う。
 
ところで、書きたかったことは「説明責任」について。
最近、AIやFintechという言葉を聞かない日はないのだが、
今日の大きな気付きは、AIのアカウンタビリティについてだ。
 
IBMのAI(ワトソン)について語られるとき、
ディープラーニングとか機械学習という話題があがるが、
たとえば、従来はファンドマネージャーの仕事であった
株価予測や株式投資という職務は、AIに任せてしまえば
少しづつAIの能力が向上、成長して、人間よりも遥かに
優秀な投資パフォーマンスをあげることができるであろう
という話になっている。
 
だが、一方、AIに依存することによって業務処理の内容が
ブラックボックス化してしまうことは、説明責任という
観点から考えてみると、いわばトレードオフの問題を秘め
ているのだ。
 
かなり前になるが、200億円程の顧客の資産を預かり、
国内株式の運用を担当するファンドマネージャーの職に
少しの間、就いていたことがある。
 
自分の資産を運用するデイトレーダーなどは、
勘とはまでは言わないが、自分が値上がりしそう
だと思う銘柄の株を選択して自由に売買することが
できるし、その結果責任を自分で負うだけで済む。
 
しかし、機関投資家としてのファンドマネージャーは、
顧客から預かった大事な保有資産の運用を行っており、
その運用の結果責任とともにその運用方針についての
説明責任、つまりアカウンタビリティが厳格に求められる。
 
たとえば、現在までの世界の経済情勢や為替の推移、
そして政治情勢などの経済ファンダメンタルズの説明から、
その個別企業の業績の推移や新規事業分野への取り組み、
そして、研究開発への取組み状況などを踏まえたうえで、
なぜ、その企業銘柄に、どのくらいの金額を投資して、
いつごろまでにどのくらいの回収見込みであるのか、
そして決算期までには、どのくらいのリターンが得られる
見込みなのかという途方もない説明責任が生じるものだ。
 
アカウンタビリティは、
(企業の)説明責任とも訳される言葉で、
社会の合意や理解を得るために、事業活動や業務内容に
ついて対外的に説明するための倫理責任のこと。
広義においては、経営者が株主や顧客、従業員といった
ステークホルダーに対して、経営方針や資金の使途、
財務情報などについて報告、納得を得るための責務一般
を指す。
 
ただし、狭義においては、
株主総会などにおける会計説明責任という意味合いでも
使われる。財務会計において企業は財務諸表を作成して
財務状況や企業情報などを報告するが、前提として、
これらは相手(株主など)に理解・納得してもらえるもの
でなければならない。
 
資産運用をAIで行った場合、
どのように説明責任を果たすのであろうか?
おそらく、資産運用が成功している間は
大きな問題が起きないのかもしれない。
しかし、何かの不測の事態により、一旦、AIによる
成功方程式が崩れ、予測に反してうまくいかなかった時、
その説明責任を求められるのは必至だ。
 
だが、ある側面では人間を遥かに凌駕する
能力を持つAIの力を過信して業務を行った場合、
その業務の遂行過程の根拠説明を人間が行うことは
極めて困難なように思う。

いや、それどころか、
もしAIに説明させることができても、それは人間が
理解することができない内容なのであろう。
 
近い将来、AIの行う業務において問題が発生した時、
どのような説明責任と結果責任を果たすことができる
のであろうか?このあたりの社会制度や法整備に関しては
今のところ議論されておらず、バランスを欠いている。
 
現在の社会の潮流は、多くの人が得体の知れない
"AI"の活用方法だけに注目し、盲目的にその価値に
考えを巡らせている。まるで過度な期待と不安のバブルを
膨らませているようだ。AIの活用について、
より積極的なアカウンタビリティに関する論議の
盛り上がりを期待したい。