こんばんは、健全さんです。

ブログを開設して3日が経ちました。

最近の悩みは、日中に思い浮かんだ“書きたいこと”をいざ書くという時まで覚えていられないことです。
メモ帳買おうかな。

今日もかろうじて覚えていたことを綴りますよ。えぇ。







僕は「普通」という言葉が大嫌いです。
「普通」に対するヘイトスピーチを始めれば2週間は続きます。多分終わる頃には全く関係の無い話になっていそうですね、2週間って。


「普通」という言葉には魔力があります。決して“モノを動かす”とか“空を飛ぶ”とかそういうファンタジックな魔力ではありませんよ。


“人を縛る”んです。


日常生活の中でこんな言葉を耳にしませんか。


「普通ならこうするぞ。」


おかしなことをした人への言葉としてよく使われます。大抵の場合、後には「お前アホだな」が付きます。
そんなこの言葉、一言で封殺します。
「ダメです。」
何故なら「普通」なんてものが、一般に存在しないからです。
確かに、「普通」という言葉自体は存在しますし、よく使われます。しかし、この言葉には欠点があります。
それは自分の考えの押し付けにしかならないからです。
昨日のブログで個性云々について語りました。
人は皆違います。

「普通」なんて、ありません。




例えばテスト勉強

“コツコツと勉強を積んで、考査に臨む。”
というのは、よくある行動です。
そして、この行動を取っている人にとってのテスト勉強での「普通」は“コツコツと勉強を積むこと”を指します。




しかし、僕のテスト勉強は

“一夜漬けで覚えて、考査に臨む。”です。
ここで、僕の中でのテスト勉強での「普通」は“一夜漬けで覚えること”を指すのです。


また、他にも
“テスト前の休み時間に覚えて考査に臨む。”
という人もいれば、
“勉強をせずに考査に臨む。”
という人もいます。

つまり、個人個人でテスト勉強での「普通」の定義は違い、これというものはありません。





これは、日常生活におけるすべてのことでも言えます。

“納豆に卵を入れるのが「普通」”という人がいれば、“納豆には卵を入れないのが「普通」”という人もいる。
“鮭の皮を食べるのが「普通」”という人がいれば、“鮭の皮は残すのが「普通」”という人もいます。




共通の「普通」なんてものはありません。絶対に。
しかしながら一般的に用いられる「普通」という言葉には自分の中での定義を信じ込ませて、他人を言動を縛り付け、また、否定する力を持っています。


なので僕は人の「個性」を殺す「普通」という言葉が大嫌いです。




いや、「普通」という言葉の誤用が嫌いなのかもしれません。

どうか、相手には相手の「普通」があるということを覚えてください。












最後に、「普通ならこうするぞ。」と唱える人にはこう返すのが正解です。

「それは、誰にとっての普通だ。」と。















大抵、「んなこと知るかよバーカ」と返されます。(笑)






それでは、また。〆